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昔の山行、今の山行
小島 作蔵

 昭和36年、三峰山岳会に入会し今まで色々な山行をしてきたけれど山に対する考え方も大分変わってきたようである。
 20才~23才までの山行は、兎に角自分をいじめ抜きハイレベルな山行を目指すための技術と体力をつけることを目的としていた。冬山のための富士山での雪渓訓練、夏山縦走、岩場の訓練等組織だった山行は、今にして思うと良き思い出でもあるが辛い思い出の方が残っている。
 富士山の雪渓訓練に最初に参加した時に驚いたことは次のようなことだった。11月下旬の富士山は風が強い。耐寒訓練のためか歩き出す時にセーターは脱がされ、手袋、帽子等一切着用させてもらえず、八合目の幕営地まで登らされた。地吹雪のために毛髪は凍り付き、手は凍傷直前までになってしまったことがあった。荷物も重くされボッカ訓練をさせられた。兎に角山行というものは楽しいものでなく恐ろしく辛いものであるという印象を叩き込まれていた。一緒に入会した者も何人か辞めていった。緊張だけの山行だった。そのように辛く恐ろしいと思った山行でも無事帰ってしまえば、それが楽しい想い出となって残っていった。
 岩登りも当然行い始め、三ツ峠のゲレンデを皮切りに、谷川岳、丹沢、八ヶ岳等の岩に足を運んだ。言わばこの頃は、冒険とアルピニストのための基礎を身に付けるための訓練期間であり、兎に角ガムシャラに山にぶつかっていった。それが友人の穂高での遭難で大きく変わった。遺骨に縋りつき我が子の名前を泣き叫んで呼んだお母さんの姿を見た時、山は止めようと思った。
 しかし、憑りつかれたようになっていた山は止められず山行は続いた。しかし、辛い恐ろしい山行でなく、楽しみの山行への切替えであった。24才~25才までの山行は本当に充実していた。しかし、岩登りの時は岩を登る前必ずもしかしたら今日が命日かも知れぬと思ったり、登り終え尾根道を下りながら今日も無事だったと独り言を言ったりし、楽しいけれども恐怖心は拭えなかったが、やったなあ!という満足感は得られた。
 26才の歳の夏山合宿の時、バテバテになった。体力が落ちたことを痛感させられた。それからは合宿等は参加したが山行そのものは以前ほど乗らなくなってきた。その代りスキーに精を出すようになった。5月の谷川岳芝倉沢スキー滑降は良い思い出である。これからはスキー中心の山行が続くと思う。縦走も、沢登りも、岩登りも、スキーも、そして他のスポーツも出来るうちにやることである。体力と技術が揃った時、実に楽しい、素晴らしいことができると思う。そういう意味での登山は私の場合、数年前で終わってしまった。


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