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私が山へ登れなくなった理由
播磨 忠志

 昭和48年10月31日、その日は前日の曇天とうって変わって雲一つない日本晴れでした。この日こそ、それから約半年間の私の入院生活の最初の日でした。
 そしてその2/3はベットに寝たきりの生活でした、病名は脊椎カリエス、医者の話を聞くまでもなくその病気は大変厄介な病気で、結核菌によって脊椎の骨が侵されてしまう病気で全快には10年ないし20年を要すると言われました。
 医者からそのことを宣言された時には、正直言って私は絶望のどん底に落とし入れられた感じがした。それは世間的な一般の生活にも制約ができてしまうし、まして況や登山のとの字もできないに相違ないのだ、そう思った時今までの楽しかった登山のことや会員皆の顔が走馬灯のように私の脳裏をかすめていった。
 しかも、私が医者からそのことを聞かされた時、私の病状は極度に悪化した状態であった。連日40度を前後する高熱に見舞われ、四六時中休むことのない腰痛にさいなまれ、身も心も疲れ果て山のことよりも何よりもこの地獄のような状態より一刻も早く脱出し、早く元のように普通の状態に戻れるよう願った。
 幸いにも手術の経過も順調で結果次第ではもう一度手術をしなければと言われていたがその心配もなく、何よりも私を喜ばせたことは私の病気がその後の検査で結核菌による脊椎カリエスではないであろうと、医者から聞かされたことです。
 しかし、脊椎カリエスではないにしても何らかの雑菌によって私の脊椎が侵されたことは紛れもない事実で、それはとりもなおさずこれからの生活やその他のことは今まで通りにはいかないということです。それはある程度覚悟はしていたものの大変辛抱のいることで、もちろん登山ができるか否か判りませんし、恐らくできない可能性の方が遥かに大きいに違いありません。そんなことをいつも病院のベットで寝返りもできぬ体で考えていました。
 丁度私が入してから暫くの間、記録的な晴天続きで何でも気象庁開設以来の記録だったとか、いつも病院の窓から見える空は底抜けに明るく、こんな時に山へ出掛けられたらさぞ素晴らしいだろうなといつも思っていました。そして、果たして私は再び元気な体であの空の下へ出ることができるのだろうかとも。
 入院中は下界と接しられるのは病室の窓しかありません、そしてその狭い病室とレントゲン検査のため移動する病院内のほんの少しの空間がその時の私の世界なのです。それは非常に退屈で味気ないものです、それは健康な方々にとっては想像もつかないことでしょう。
 しかし、そんな生活にもいよいよピリオドをうつ時がやってきました、3月の始めにコルセットを着用し歩いても良いとの医者からの許可が出ました。しかし、初めてベットから起きて歩き始めた時、私の足は今までのベット生活で完全に筋肉がないも同然となり、足の裏の皮は顔のそれより薄く、わずかな歩行にもそれは耐えることができなかった。そればかりか少しばかり長い時間椅子に腰かけているだけでお尻の骨が椅子に当たって痛くなる有様でした。
 それからが私にとって毎日毎日が山に行って帰ってきた翌日のように、朝起きると足が痛くて体がだるく、そうかと言って歩かない訳にもゆかず、病院の廊下を歯を食いしばって何回も何回も廻り続けました。
 その甲斐があってか歩き始めてから40日経ってやっとのことで退院することができた。
 退院してから1年以上経過した現在、お陰様で何事もなく薬も止めコルセットも取れ、病院への通院も4ヶ月に一度ぐらいになり、仕事も普通にできるようになり、暗中模索ながらも徐々にハイキング程度の山は行けるようになりました。今年の夏は荷物を最小限にして少々高い山へも行きたいと思っています。あまり病気のことばかり考えていても体にマイナスになると思います。それよりも少しでも自然の中に身を投じて以前の私に戻ってみたいのです。
 しかし、体調には気を付け慎重の上になお一層の慎重を重ね、寂しがり屋の私は三峰山岳から捨てられることを恐れて山へ対する努力を怠ることなく、新しい目標へ向かって精進してゆくことでしょう。そして山に対しては初心に戻り、謙虚な気持ちで接し、これからも登山をしてゆきたいと思いますので会員の方々には何分よろしくお願い申し上げます。
 尚、私が入院中、会員の方々の暖かいお見舞いを沢山いただき大変感激いたしました、私が現在健康な体でありますのも皆様方の心の支えがあったればこそと感じております。持つべきものは良き友達とは昔の人の言葉ですが、本当にそのことを身をもって感じました。人間苦しんだり、困ったりした時こそ、精神的な支えが必要なのです。そのような意味でも皆様からいただいた力添えは計り知れないものがあります。暗くなりがちな闘病生活を会員の方々が明るくしてくれ、私を快方へ引っ張って行ってくれたものと確信しております。退院後、1年以上も経ってからこんなことを書くのは大変に失礼かもしれませんが、遅ればせながら皆様方の暖かい友情に心からお礼申し上げます。


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