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ある男
匿名希望

 いつもの喫茶店で次回の夏山合宿の計画を立てている。ああ、オレも行きたいなーと彼は考えている。だが、ある程度まとまった夏季休暇などあるはずもなく、このインフレと物価高に喘ぐ彼には夢にもならない。いつもルームの隅で黙りこくっている。皆、和気あいあいと山行計画をそして行ってきた山の写真を見ながら楽しそうに語り合っているのを横目で見ていると、何か一人だけ取り残されたような寂しい気持ちで集会に参加するのさえ苦痛だと言う。いっそのこと山岳会を辞めてしまおうかと何度考えたことだろうか。
 久し振りに彼は夜行日帰りの例会山行に参加した。何度か行ったことのある山なので気安く参加したが、バテバテにバテ体力のなさに気を落とし、その上財布の中身は空っぽとなり当分の間、山とは縁遠くならざるを得ない。その彼は時々低山の藪山を好んで行くらしいがよくよく聞けば、低山の藪山だけが楽しみではないと言う。夏の縦走、冬山合宿、スキー、岩にと行きたいが、人一倍の臆病で気の弱い彼は、スキーに行っては雪の急斜面に驚き、岩の高度感に恐れ、冬の寒さに耐えられず、人ごみを嫌い、結局低山へと追いやられてしまう。
 山に行かなければ行かないほど、出かけるのが億劫になってしまう。そんな彼は山に登るという楽しみの他に山を眺めて楽しむという方法に気が付いてくる。そんな彼が眼前に好みの山が見え、手軽に行ける基地ともなり、また将来山を眺めながら住みたいと考えていた。そして最近、南アルプス、富士山、八ヶ岳、茅ヶ岳を望む畑のど真中にちっぽけな土地を手に入れた。以前ならば土地代、建築費、税金、管理費と多額の金を投入するより日本、世界を問わず好きな所へ行けた方が割安と考えていたが、現政府によるインフレ政策によりわずかばかりの貯金は目減りする一方、その上将来の独立などままならず、自分の小屋を持とうと考えるようになった。いざ建築となるとこれまた大変なことで、法律的なこと、そして建築費以外の諸雑費が多くいつ完成するとも分からぬ山小屋に夢を託し、山へ行けなくとも安給料であろうと結構楽しんでいるようだ。


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