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緑の地平線
松谷 洋美

○旅は楽しいイントロから
 山々は感情も露骨に天に向かって表現する生の世界である。
 同じ大自然であるが海洋は、その感情を治め得た広漠たる静の砂漠である。
 僕はまた海にやってきた。こうしてちっぽけな貨物船の最先端に立つ時、真っ直ぐ後方を振り返り自分の船を人間の創造物を意識に写さない限り、辺りは一面緑の宇宙である。
 僕の足許から海は切られる。僕は時速10マイルかの速さでこの宇宙を滑らかに飛行する。生命の誕生と言えばこの船が残していく鋭角のどこまでも一筋に続く白い血潮と、そしてこの意識の具体化された自分という肉塊だけである。ここに自己と自然の対話が始まる。辺りは一面緑の宇宙である。

 いちめんのみどりのせかい
 いちめんのみどりのせかい
 いちめんのみどりのせかい
 いちめんのみどりのせかい
 いちめんのみどりのせかい
 いちめんのみどりのせかい
 いちめんのみどりのせかい
 いちめんのみどりのせかい
 いちめんのみどりのせかい
 はるかなるたびじ

 いちめんのみどりのせかい
 いちめんのみどりのせかい
 いちめんのみどりのせかい
 いちめんのみどりのせかい
 いちめんのみどりのせかい
 いちめんのみどりのせかい
 いちめんのみどりのせかい
 いちめんのみどりのせかい
 いちめんのみどりのせかい
 いちめんのみどりのせかい
 いるかのじゃんぷ
 いちめんのみどりのせかい

○生活の循環
 山を始めた年に僕はとんでもないことから船員として外航貨物船に乗り込めるチャンスをつかんでしまった。外航船というと2、300mもの巨大な船を連想してしまうのであるが、僕が乗り込む船は全て50m前後、500トンクラスで昔マグロ漁船として使われていたものを冷凍貨物船として動かしているものである。初めて乗船が決まり神戸に行った時、その哀れな長さを現実に感じて気が滅入ってしまった。
 おまけに見るからに柄の悪そうな、かの悪名高き「フナノリ」という嫌らしい人種に囲まれた時はまったく「オカァチャーン」と泣き出して家に帰りたくなるほどであった。石の上にも三年とか、船の生活にも慣れ、山の生活でも最初はワンゲル、エスカレートして三峰山岳会、同好会山岳部等、そのどれもがそうであるが初めて訪ねていった時は、僕と違ってなんて醜い人達ばかりがいっぱいいるんだろうと驚いたものだが、3年経てばこのざまである。人間の成長の上で一番の拠りどころとするものは、やはり時間であり歴史であるということなのだろうか。
 自分の知らぬうちに、今は山屋の端くれであると同時にセミプロの船乗りでもあって、また一応形式的には学生さんをやっています、と言うのは甚だ甘えた怠惰な人間を商売としている。航海は春、夏、2ヶ月に渡る休暇中にやる。海から帰ると水平移動に飽きた僕は山を目指す。海で稼いだ金を山で落とす。自然の子の成立である、と悦に入っているうちにもう一つの残された商売の方が気になりだす。学業が不安になる。成績でAの数を揃えたいと思うようになる。Aを取っていい会社に入ろうなんて嫌らしい考えが起こると人間が消極的になる。消極的になるのは嫌いだから山を目指す、海も目指す、そしたらまた不安になり学校に行き嫌らしい考えを起こす。でまた、山に行く、海に行く、そうすればまたまた....というのが、馬鹿な平民の辿る通常の道なのか?若干21才にして人生の機微。人生とは儚いものなり。

◯航海
 船員の構成は、船長以下の航海職と機関長以下の機関職、それに無線局長、コックさんが一人ずつ、12名前後というのが僕の乗る船の通例である。僕の職種は甲板員であり仕事は主として航海当直である。航海職が二人組となって午前午後それぞれ4時間ずつ3交替制で進路を設定したり見張ったりする。他の仕事は船体の錆落としやペンキ塗り、それに出入港の際の準備やその他船体に関するあらゆる事である。
 沖に出ると自動操舵に切り換える。船の舵というのはなかなか当てにならぬもので、舵を真っ直ぐに設定しているだけでは船は真っ直ぐ進んでくれぬ。風や波の影響を受けるからである。自動操舵もカチャカチャと3、4秒おきに音を立てて進路を細かく修正する。夜は明かりを点けると外が見えなくなるから、二人いるブリッジは真っ暗である。騒々しい機関の音もここでは聞こえず、カチャカチャという操舵の音がブリッジ内に不気味に響く。船が闇を斬る。
 この闇の奈落の底に、自分達は静かに無抵抗に潜行してゆくようだ。僕らの他に世界はない。周りは全て豊穣なる液体の平野である。でも今は、それさえも見て確かめることは出来ない暗黒の砂漠だ。こんな世界でも光を見つけることがある。星であり、沿岸に多くなる他船の灯りであり灯台である。丘が恋しくなった時に現れたギラギラと眩いばかりの漁船群の火、漁火の大群はこの世に作り出す海と人間の沈黙のシンフォニーではなかろうか。
 航海は全て点と線で行われる。岬などの目標に並ぶとチャートの上で次の目標を定め、一挙に線を引き通し角度を決める。
 その目標が近くても、気の遠くなるほど遠くても方法は同じである。船は定められた角度に向かって線を辿って行く。僕が太平洋に引いた線も数多くなった。その複数の線が一点で交わる所もある。その点はあの果てしない大海原の一点で、時間は遠く隔たっていても僕が確実に2回存在したことを表す。限りなく自由に広がる海の真っ只中の人間界から完全に隔離された海面でも、僕はその点だけは征服できた、自分だけのものであるような気がしてならない。

◯マドロス
 船乗りは荒くれだと言われる。丘の人間とは違った世界の人間だと言われる。極道だと言われる。若い時から海に出て、それ以来1年のうち300日以上を海で過ごす。遠洋の漁船なら一度出港すれば1年2ヶ月、いやそれ以上も日本には帰ってこない。海に出たならその年から社会に付いていけなくなる。社会の代わりに海の常識で歳をとってゆく。
 それでも同じ人間である。丘の上の人間の世界と本質は少しも変わらない。素晴らしい人もいれば嫌な人もいる。とっても優しい愉快な人もいる。社会の常識から外れても現代の社会とはそれから外れたら駄目である、と言えるほどの価値と真実を備えているのか?
 乗船していてこんなことがあった。前回の80日に渡る長い航海で士官意識の強い若い一等航海士が皆に嫌われだした。短い航海ならば何とか取り繕っていけるのだが、この逃げ場のない世界で80日ともなると皆感情を露わにしてしまう。その一等航海士は皆に相手にされなくなって一人ぼっちの状態が続き、航海が終る直前に気の緩みも手伝って酒を飲んで暴れ出した。ハンマーやナイフを持って刺すとか殺すとか。傍観していると漫画のようで結構面白い。なにしろ泥酔してのことだから足はふらつき、自分でも何を言わんとしているのか分からないのだから「オイ、船長、俺は酔っぱRRR(巻き舌のR音)....Aってなんかいネエゾウ」って具合である。船長とか他の人はその一等航海士よりも歳が上であるからうまく交わすのだろう、別に問題は起こらなかった。でも悲しいことに最年少の僕に今度は当たり出した。僕の部屋まで来て「下船したら半殺しにする。住所を知らせろ」という意味のことをだらだらと充血した目を向けて言う。こういう時は素直に怯えた振りでもすれば良かったのかも分からない。でも生意気が売り物の僕はベットに横になったまま住所を早口でスラスラ喋り、おまけに電話番号までつけてやった。これがどうもいけなかったらしく、部屋に一度戻って酒を飲みたした彼は、今度は本気で僕を殺すと言う。ナイフを振りかざし狭い通路をドタドタと大の男が涙をポロポロ流しながら、怒り狂って迫ってくる光景は恐怖という他一体どんな形容があるだろう。考えてみれば海には死というものはざらにある。落ちて死ぬことからノイローゼで自殺まで。以前一緒に働いたり遊んだりしてくれた愉快な無線局長も僕が丘に帰っている間に死んでしまった。局長は台湾航海でいざこざから刺し殺されたという。こんな事件が僕の心をどこか空ろにすると同時に、あの時目の前に現実として迫った、一等航海士の姿をとても落ち着いて見られる状態ではなかった。すぐ部屋に鍵をかけ縮み上がった。戸のすぐ外側にコックさんの太い声が聞こえたのはその時である。
「松谷君を殺す前に俺と勝負しろ、後のデッキで鉄パイプを持って待ってるゾ」
 この言葉を僕がどんな気持ちで聞いたか分かってもらえるだろうか?全身から汗が引いていくのが分かった。聞こえるようであった鼓動が小さくなっていくのが分かった。
 コックさんは横須賀でヤクザをやっていて幹部候補にまでなったらしいが、何の訳か小指をチョン切って堅気になった人である。気性が一本気なためか何事にも隙きを許さない。料理も芸術品というほどのものを作る。料理を職とする人はそれが人に美味しく食べてもらえることを至福とする。食べることが人を喜ばすことになるのだったら、この方面では僕は人を幸せにすることができるかも知れない。毎日、毎日、牛のように食った。コックさんはそれを見ていて、この馬鹿野郎、会社を潰す気かと怒鳴り散らしたが、陰ではいつもニコニコして包丁を動かしていた、あのコックさんの姿を僕は忘れることが出来ない。
 色んな職種の中で僕は一番、ボースン(甲板長)というものに親しみを感じる。僕が甲板員だから当然ボースンに接近するためもあるのだが、ボースンという職が航海士とか機関士など、免状による資格と違い、あの大航海時代からの昔ながらの経験一点張りの保守的で野性味のある、洗練された仕事をやるからである。ボースンは沢山のロープやワイヤーを魔法使いのように使いこなす。僕らが山で使うザイル等の扱い方は全て大昔より船乗りが苦心を重ねて見出したものの継承だろうと思う。船体の保存手入れ、出入港作業、荷役作業の監督等の仕事も船を細部に渡って理解している人でなければできないものだろう。人間的にも昔気質、職人気質でそれでいて鷹揚な気質の人が多い。この2月、3月にかけての航海でも僕は今度はどういうボースンに会えるか興味津々たるものがあった。
 初めてボースンに会ったのは2月20日から28日まで、広島県の因島でドック入りしている仁洋丸で作業を僕が手伝いながら、家庭に帰っているほとんどの船員さんを待っている間である。一人、二人と船に戻ってくるのだがボースンは船長と一緒に現れた。船長はお顔にどこか気品を感じさせる高貴なお方であるという第一印象である。ところが、その傍らに並んだボースンといえば真っ黒に酒焼けして猿のような顔を持つ人物である。ふてくされたような顔をして、なかなかアルバイト船員なんかの僕とは口もきいてくれない。いやはや大変な人物がきたと思った。しかし、そのボースンが一旦口を開くと、あのマヘ島の腹の皮がよじれるような話が馬鹿でかい声でポンポン飛び出す。かと思えば、白砂青松なんぞというとても顔とは不釣合な情緒ある言葉も飛び出す。因島から28日昼、出港。翌日午後8時、ボースンや船長などの家庭のある静岡県焼津に入港。ボースンが中野良子と似ていると噂される奥さんと心温まる一夜を過ごしてきた、その翌日の朝、僕がニタリとして上目使いに「ボースン、顔色がいいね」と言うと、この中年のボースン柄にもなく黒顔を真赤にして照れた照れた。「この野郎、餓鬼のくせに大人をからかいやがって」仕事の腕には狂いがないし、ともあれ僕はこのボースンが大好きになった。
 会えば必ず別れがくる。船員の船から船への移動は激しい。僕がもう一度同じ船に乗れたとしても、同じ人に会えるとは限らない。船員は実に良く移動をする。生活のためとは言いながら「またいつか、どこかの波止場で会おう」と当てもないことを何度も何度も言い合って別れていく。おまけに僕のようなアルバイトともなると別れは何月何日と決まっている。船の上で1ヶ月も一緒にいればケツの穴まで知り合う仲になる。丘の1年分の付き合いになる。
 焼津港にて台湾高雄航海決定、準備をして3月6日16時出港。11日23時、高雄着。18日10時半、高雄出港。24日11時、東京芝浦岸壁着。そして26日に下船がきた。因島から始まったこの1ヶ月余りの航海でも2月26日は仁洋丸の船員さん達から、また会おう、また会おうぜと声をかけられるのが辛いほどになっていた。芝浦から田町の駅まで焼津に帰るボースンと機関士さんと一緒に歩いた。もう二度とお互いに会いたくないなあ、なんて三人で言い合いながら。田町の駅で下宿のある川崎方面へ向かう僕と、一旦東京に向かう二人とはホームが分かれる。東京へ行く山手線が先にくる。二人が乗り込む。走り出す。ボースンと目が合った。ガラスの中で黒い顔が微笑む。さようなら。堪らない気がした。
 別れとは反対に「いつかどこかの波止場で会おうぜ」が現実に起こることもままある。これがまた常識では考えられない場所で、今航海中、僕に起こった。広い広い台湾高雄の港で。3月16日、仁洋丸の船員さんが同じくマグロ漁船あがりの500トン貨物船、七洋丸が入港したと騒ぎ出す。僕は全く信じられなかった。七洋丸と言えば僕が初めて乗った船である。北朝鮮、マレーシア、ベーリング海へ、まだ海を知らない僕を運んだ船である。2年前(昭和48年)の夏に富山県伏木で下船してから、七洋丸は一度も僕の目に触れてはいない。慌てて双眼鏡を取って遥か向こうの岸壁に着いた小さな船に照準を当てた。水色の船体、ダイダイ色のマスト、あのブリッジ、何もかも完璧であった。七洋丸に間違いはない。波止場を七洋に向かって一目散に走った。一歩ごとに七洋が大きくなる。一歩ごとに2年の隔たりが小さくなる。
 息せき切って立ち止まった僕の上には七洋丸(ナナヨウマル)と書かれた船首が素晴らしい圧力を持ってのしかかっていた。七洋丸は税関手続きのため船員さんは皆内部に入っているのか誰も見えない。そのうちに出て来た。ボースンがデッキに出てきた。30そこそこの天真爛漫に海で育て上げられたボースンが出て来た。「ぼおうすん」と大きな声を掛ける。こちらに振り向いたボースンは目をまんまるにむき出す。感情が頭の中で跳ね回る。
 2年はあまりに長かった。ボースンを除いて他は誰も知る人はいなかった。「またいつか、どこかの波止場で」嫌な言葉である。


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