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春山合宿 縦走班(巻機山から芝倉沢へ)
柴田 隆一

山行日 1975年5月2日~5日
メンバー (L)真木、野田、平、甲斐、柴田

 5月1日、僕にとって昨年夏以来の大きな山行になってしまった今回の春山合宿、不安と興奮で落ち着かない日々をおくり、荷物をまとめ上野駅9時きっかりに集合場所に着く。まだ誰も来ていないことがまた僕の心を不安にし苛立たせる。昨年の山行の失敗がいつも心の隅にあって拭い去ることができない今、縦走班に参加を希望したことが間違っていたのではないかと。集合時間を回って野田さん、真木君、平さん、甲斐君といった今回の縦走班のメンバーが揃うにつれ、今回の合宿のために3月から小さな山行を手掛け、体力を蓄えてきたのだと自分に言い聞かせ、明日からの山行を楽しい思い出にしよう。10時を回り先に訓練班の別所さん、山本さん達を見送り、私たち縦走班が上のを発ったのは11時を過ぎた急行でした。六日町に着いたのが午前3時くらいで早速朝一番の清水部落行きのバスが来るまでステーションビバークと決め込みシュラフの中に潜り込み、明日に疲れを残さないために一生懸命でした。
 5月2日、さあ、今朝から行軍開始だ。朝6時前には朝食を摂り清水部落行きの一番バスを待つ、バスは凡そ50分で登山道入口の終点へ着く。出だしの悪い僕にとって朝が一番の不安だ、そんなことが脳裏をよぎる。しかし、今日はどうだろう一歩一歩確実に登高していく、これならやれると妙な自信が湧いてきた。僕にとって一番の収穫じゃないだろうか、また仲間と山行が楽しくできると、天候は朝から晴れ快い風が僕を包んでくれピッチは上がり少し早い昼食をニセ巻機山直下で摂る。今登った急な斜面のことも忘れ昼食に食いつく、どんどん胃袋に詰まること水を欲しがらないこと、調子が良いんだなあと思えて嬉しい。昼過ぎには巻機山頂に立ち、野田氏、真木君それに僕の3人で牛ヶ岳まで空身で往復し、今日の幕営地の米子頭山へと向かう。巻機山から米子頭山まで高低差およそ120m、雪面を駆けるように下り上りし3時頃に一つのピークで一本立てようとしてひょいと道標を見ればこの地が今日の幕営地であり、リーダー真木君の一声でここにて1泊を決め込む。丁度この頃より風強く、またガスが立ち込めて視界悪く計画通り今日の行程も消化したので1日目成功なり。
 5月3日、今日の行程は米子頭山より朝日岳を往復し清水峠へ至るコースである。朝4時に起床したことはしたが、目が思うように開かずまた長時間開けていられない、雪盲だ。昨日の快晴に心躍り一日中雪面を歩いたのにゴーグルをかけなかったことが悔やまれる。雪で目を冷やしながら朝食を摂る。幸い今朝の天候が崩れ強い風とガスが稜線を包み込む。ラジオのない我々は少し様子を見ることにして、ゆっくりとできたことが僕にとって幸いし、雪盲も引けて出発の時にはどうやら目も開けていられるようになった。トップに立ち深沢山~居頭山~柄沢山~檜倉越路~檜倉山、大烏帽子山~越後烏帽子山と軽快にピッチを上げ、昼少し過ぎにはジャンクションピーク直下に達し、大倉尾根から笠ヶ岳、朝日岳を経て我々と合流する訓練班の連中へ定時の送信を送るも受信できず、また雑音の中に事故ありとの受信あり、野田さんから聞き訓練班ではないかと心配しジャンクションピークへと急ぐ。折から雨強く降り始め、朝日の分岐点に出て昼食を摂りながら送信し確実に今度は受信する。訓練班は大分苦戦しているように見受けられ、我々も朝日まで迎えに行こうとするも途中で道を失い戻る。分岐に今日の幕営地を定め、設営し終わるや中で暖をとる。4時半過ぎに訓練班の別所夫妻、山本さん、それに新人の木村君、矢作君が到着する。早速訓練班の設営を助け、一つテントの中で歓談し、夕食を共に摂り楽しく過ごす。
 5月4日、天候は依然回復せず朝から雨が降り続き、今日の行程である清水峠~七ッ小屋山~蓬峠~武能岳~茂倉岳は無理かも知れない。朝からの雨と風で前進ビッショリとなりながら、それでも遅れることもなく皆と共に清水峠~七ッ小屋山~蓬峠へと至る。ここで昼食を摂り、ここより下山と決め雪渓訓練をしながら白樺避難小屋で一本取り、また訓練を見ながら僕ら縦走班はグリセードと決め豪快に滑りまくった気分になったが、実際には五月雪は悪く骨が折れるばかりで滑らず、しまいには足がガクガクしてあっちへ転び、こっちへよろけて湯檜曽川岸へ出て、そしてベースのある芝倉沢へやって来たのです。


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