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飯豊連峰縦走記
別所 由季子

山行日 1975年8月6日~10日
メンバー (L)別所(進)、別所(由)

 記録的な好天気が続いた後に東北地方を豪雨が襲い、局地的に大きな被害をもたらしたと報道される中を私達は飯豊へ向かって出発しました。朝方、山都辺りより降り出した雨は一の木では土砂降りとなり、止んだと思うと再び降り出します。飯豊鉱泉で雨を避けていると宿の主人がお茶を勧めてくれて「今日はずっと降ったり止んだりの天気だ。それにこんな日は、きっと雷があるから山へ行くのは止めた方がいい」と言うのです。一瞬、鉱泉泊りの雰囲気となりました。携帯したラジオで天気予報を聞き暗い空を眺めていると、主が居眠りをし始めたのでその隙に宿を出ました。
 この山行は希望的観測によれば私達にとって二人で楽しむ最後の夏山ということになるはずでしたので、長いこと考えた末の計画なのでした。この後、出羽三山、蔵王へと行く予定ですので時間はたっぷりとあります。別に急ぐ旅でもありませんし、今更急いでも仕方のないような時間です。いよいよ山道へ差し掛かるという御沢小屋で早々と一本立て、名物のおそばを注文しました。小屋のお婆さんがお盆で運んできたおそばは白地に青の模様の洒落た器に盛られてあって、薄縁を敷いた板の間に腰掛け杉木立の間を行く風に吹かれながら箸を運ぶと本当に美味しいと思われました。
 横峰小屋までは苦しい尾根歩きです。幸い雨脚も遠のいて、今では晴れ間も見えるほどです。暑くもなく上り坂を歩くにはもってこいの気候となりました。地蔵小屋を過ぎるとそれまでの土と樹木ばかりの風景から急に視界が開けて、これから向かう三国岳が見えます。鎖場のある剣ヶ峰も難なく通り、冷たい湧水で喉を潤して一気に三国岳へ。期待していた大日岳は暗い雲に覆われて見えませんが、足取りも軽く稜線を辿って大きな雪渓の残る切合のテント場に着きました。
 2日目の朝、ツェルトから顔を覗かせると空は黒い雲に覆われて日の出を見るどころではありません。身支度を整え、キジ場を求めて歩き回っておりますと緑の斜面に柔らかなピンクのヒメサユリが頭をもたげ風に揺れているのを見つけました。しばらくは自分がこの地に何があって来たのか忘れておりました。
 さて、2日目の出発も空は雨模様、傘を差して歩き出しました。風が強く、霧が切れると思わず声を上げたくなる風景が広がります。目も洗われるような緑の草原を風が渡って葉裏が光ります。その向こうに草履塚の緩やかなピークを、先ほど私達を追い抜いて行った7、8人のグループが豆粒のように小さくなって登って行くのが見えます。本峰への最後の登りはそれまでの風景と打って変わって岩場の寒々とした登りです。神社に着き社殿をお参りして、おこもり堂でお茶を御馳走になり、風と霧のため冷えた身体が暖まったところで500mほど離れた山頂へ向かいました。
 飯豊山は昔から信仰登山の盛んな山だと言われていますが、木の根坂の人に踏まれて窪んで溝のようになった道や、横峰小屋、地蔵小屋のように夏だけ掛ける簡易小屋、ブロックに囲まれた暗い神社のお燈明と折に触れ昔ここを聖地と崇め、必死で登ってきたであろう人達の心を偲ばせるものがあるのです。しかし、宗教臭さも本峰までで、ここからは山屋の領分のようです。
 濃霧の中を抜けて大日岳への分岐点、御西小屋に着きました。眺めると大日岳は連峰中最高峰と言われるに相応しいどっしりした姿を見せています。荷を置き大日岳をアタックしましたが、山頂で霧にまかれ磐梯山と本峰を狙った写真が撮れませんでした。往復4時間の行程とありましたが、2時間足らずで行ける山ですので是非踏んで欲しいピークです。この日はここより30分ほど下った天狗の庭に、咲き争うサクラ草を避けてツェルトを張りました。
 3日目、やっと日の出を拝み、爽快な気分で歩き始めました。振り返れば大きな雪田が山肌のあちこちに残り、緑が眩しく、先ほど通ってきた御手洗ノ池が小さく光っていて、道は柔らかなピークを幾つも越えてきています。烏帽子岳のピークです。目の前に大きな大日岳の山塊が、左に目を移せば青く本峰が望めます。山頂より下って直ぐ登り切ると梅花皮岳。再び下ると十文字鞍部です。なにしろ登ったり降りたりが激しいので、変わる景色に心を奪われ結構道程も稼げます。石コロビ沢の大雪渓を覗き、北股岳への登りにかかります。暑い日射しの中、花が咲き乱れ草いきれにむせ返るぐらいです。お社のある北股岳のピークより連峰のメインは終わったという感じで少し寂しい稜線です。飯豊温泉へ下る分岐点の扇ノ地紙で昼食を摂っている人を見かけた後は、人に会わずじまいでした。道も次第に踏み込まれている様子がなくなり熊笹やら木の枝やらで見え隠れしています。手持ちの水が不足してきて心細さを募らせますので、頼母木山の水場を探して北側の斜面を下り、大雪渓の下を音を立てて流れる水に出逢ってホッとしました。近くにテントを張った跡も真新しく、ここに人が立ち寄ったのだと思うと色々な意味で安心します。頼母木山はガイドブックにもろくに書かれておりませんがテント場として適地だと思われました。
 もうどれだけのピークを越えて来たでしょうか。朝から数えてみれば名の付いている山だけでも8座もあります。9座目の鉾立峰はその名の通り鉾を立てた形をしていてすごい急登です。やっとの思いで行いた山頂はトンボの住家なのでした。気分の悪くなるほどの沢山のトンボが飛び回っていました。杁差岳は静かに私達を待っているようでした。霧の中に花は咲き乱れ、そこここの池塘は何も映さず灰色に光っています。寡黙な振りをしていますが多くを語っている山だと思いました。避難小屋の脇にツェルトを張って寝ました。
 4日目の朝、5時半に出発。昨日霧のため探しても分からなかった新六の池の脇を通り大熊小屋へ向かって北西へ延びる細い尾根を下り続けます。道標もほとんどなく、踏み跡頼りの急な下りです。原生林に囲まれた大熊小屋までは順調に歩き続けましたが、西俣川に沿って木の根の出た細い下りになると道は幾つもの沢を渡り続け、その度に休んでは無用に水を飲んだものですから疲れが出てきました。重い足を引きずり登ったり降りたりしていると、スノ沢の手前で妙な三人連れと後先になりました。一見登山者なのですが山仕事をする人のようです。突然、彼等は立ち止まりロープを出して木に登り始めましたので眺めていますと、サルノコシカケを採っているのです。彼等のザックは大小のサルノコシカケで一杯でした。
 長い長い下りでした。片側が断崖絶壁で、道と言えば岩壁をくり抜いている細い道だったりして怖い思いもしました。ダム造りのためにそのまま真っ直ぐには下れず長い吊橋を歩いて対岸へ渡ったりもしました。下り4時間というコースに何故だか6時間もかかってダムの上の林道に出ました。ダムの建設現場を通り抜け、大石部落に向かって歩いておりますと、黒いピカピカの乗用車が脇を通り過ぎて行き、中でランニングシャツスタイルの例のサルノコシカケの三人が悠然と手を振っておりました。その夜は三人に教わった畑の中の温泉に入り美味しいビールを飲み、飯豊連峰縦走の成功を祝ったのです。思い残すことのない山旅でした。


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