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夏の終り その1
多部田 義幸

 霧が立ち込める一種異様な鎮静の中に今僕は立っている。鳥の声も風の音も人の息も全てブラックホールの如くに吸い込まれ、銀の霧が何処からともなくもくもくと湧き出る。遠くにカラン、カランと落石の音がする。日が落ちる、夕闇迫るカールの園に日が落ちる。ステージの上のスポットライトのように一本の陽の光がその沈静の中にすうっと入り込む。するとそこに登場する赤や青、黄の色とりどりの衣装を着けた道化師達、彼等の集まるここは何処だろう。ここは涸沢、ザックを下ろす僕はもう道化師達の仲間入り。
 北鎌尾根へのアプローチは深く長い。石灰をこね回して作った幾つものトンネルを通り過ぎ、湯俣へ来る頃雨は上がってくれた。高瀬川は少し増水しているようだ。水俣川を上部へ詰めるに従い水嵩は増し、千天の出合までが今日の核心部であった。天上沢へ入ると流れは緩く、踏み跡を辿り北鎌沢の出合を目指す。この辺から僕ともう一人の自分との葛藤が始まり出す。やっと出合に着く、今日は僕の勝ちである。さあこれでツェルトを張り、ジフィーズを流し込む、それで今日は終わるのである。
 眼が覚める、寒くて眼が覚める。皮膚は鳥肌を立て歯はガタガタと俊敏な上下運動を始める。時計の針は今日から明日へ変わる時、1本のローソクと2個のメタが瞬時肌を慰める、だけどそれも束の間。天上に無数の花が咲き、凍りつくような流星がひっきりなしに飛び交う中に僕はいる。ピッチはなかなか上がらない。独標は未だ近づかず、槍の穂は遠のくばかり。「登攀用具、それをザックの底から放り出してしまえ、そうすればお前の苦痛は少なくなろう」一人の我が言う。北鎌は単なるアプローチではなかったのか、もう一人の我が言う。夏の太陽はギラギラに照り付け、喉はカラカラに乾き出す。気が付くと5m上に滴り落ちる水滴求め岩溝を攀じ登っていた。赤錆びた小さなオアシス空き缶を見れば、その中に溜まった雨水で喉を潤す。満足である、静かである、興奮気味である。天に突き刺さる如く槍の穂は堂々と聳え、その頂に人影が見える、カランカランと僕の落とした落石が他の石を誘発し谷に消える。北鎌の尾根は脆く、外から見るほど大した技術は必要としない。でも鎖や梯子がついていないだけ他の道よりはましである。ポピュラーにならないということだけがせめてもの救いであり、ここだけは神秘的にしておきたいものである。
 今日も涸沢は上天気、穂高の岩壁に囲まれ横になる。ひっきりなしに行き交う登山者達に品定めをするかの如くじろりと睨みを利かせる夏の日の午後。こんなかわいい山男がここにいるのに、笑う奴、恐れをなす奴、皆足早に通り過ぎてしまう。隣にテントを張っている女が、明日帰るので僕と写真を撮りたいとのことである。無表情でOKしたものの、内心はニコニコであろう。記念撮影を終え一言いうと小物入れの中から小さな丸鏡を取り出した。恐る恐る顔に手を当てる。そういえばもう幾日も風呂やヒゲソリは手にしていないし、夏の日は強烈であった....時代は変わる。爽やかな風が吹く、シチューの香りを乗せて風が吹く。6日目、ラーメンジフィーズが腹の奥に浸み渡る。華やかな涸沢銀座、飽きない所だ、僕は好きだ。久しぶりにラジオに触れる。この数日の出来事をアナウンサーがイントネーションのない単調でクールな声でニュースを言っている。男や女の笑い声が聞こえる、想像していた涸沢より綺麗で落ち着けるようだ。そしてここは、あまりに一人でいることを感じさせる。いつの間にかテントに灯が点り、あの時見たのと同じ星がある、空がある、宇宙があった。山の詩を歌うやつがでる、花火を上げる奴がでる、カール一帯にどよめきや歓声が起こり皆んな酔っている。高校野球のように、学園祭の後夜祭のように、エイトビートに酔うコンサートホールのように皆んなが何かを求め、そこに一つのリズムが造りだされる。それが青春の詩なのかも知れない。
 線香花火、細く小さく、先のほんの小さな火薬玉がパチパチと燃える。「お兄ちゃん、誰のが一番長く燃えるか競争しようよ」何時のことだったろう、暑い夏の夜、下の妹がこんなことを言い出した。縁側に座り遊んだ夜のことを、それ以来花火と言えば線香花火を思い出す。小さな丸玉がパチパチいいだす、始めから激しく燃える玉、段々激しくなる玉、始めから終わりまでチビチビ燃える玉、でもどれも終わりは早くパッと一瞬のうちに落ちてしまう。後に残ったのは火薬の臭いだった。ラジオはいつの間にかサバリッシュのN響によるモーツァルト歌曲「マクビ」序曲が流れていた。最近東京に居て音楽といえばジャズであろう、ジャズといえばモダンであった。ふと今日まで自分がジャズに惹きつけられてきた理由は何だったろうと考えてみる。初めてジャズに触れその魅力を知ったのは未だ高校生の頃で、ブラスバンドに入ってから僕は色々な音楽に興味を持つようになった。部費が余りそうになったので部員の誰かがベニーグッドマンかグレンミラーのビッグバンドのレコードを買ってきた、それを聞いたのが最初だったと思う。未だ街にはジャズが溢れている時代ではなかったし、田舎町にいた僕はそれまでジャズに触れる機会などありようがなかった。それだけにその時の衝撃がよほど大きかったのだろう。ダイレクトな感情の出し方、官能的なまでに肉感的なサウンドには、これまでにない人間的な響きを感じ、自分の気持ちにぴったりくるものを感じ取っていた。それは自分が求めていながら得られなかったものを探し当てたというフレッシュな感激だった。僕のジャズエイジが始まったのはその日以来である。聞いているうちにクラシック音楽の感情を抑制したり表現を洗練させていく方向とは逆に、人間の魂をむき出しにして率直な表現を身上とするジャズに傾倒していった。そして、ジャズの持つ爆発的なエネルギーは青春時代の心のわだかまりを十分に吹き飛ばしてくれるのである。やがて、あらゆるスタイルのジャズを聞くようになり、黒人達の心の歌ともいうべきブルースがジャズの重要な原点であることを知ったのである。ブルースは黒人の歎きや悲しみを正直に歌ったものだが、労働の辛さや失恋を歌ってもそれはどこまでも個人の歌である、集団の歌ではなく個人の気持ちを自由に歌ったところにブルースの持つ大きな意味があるように思う。12小節の中に隠れたブルースの持つ自由の精神はそのままジャズに受け継がれている。アドリブによる独奏の尊重というジャズ固有の方法もこのブルースにおける自由の精神から生まれたものである。これは個を押し潰そうとするあらゆるものからの自由を意味している。ジャズはシュプレヒコールではなく孤独な個人的発言であり、そこにジャズの人間的な魅力があるのかも知れない。前置きが長くなったけど、クラシックならばバルトークやストラビンスキーの現代音楽の方がまだしっくりくるのがこの頃であったのに、ここで聞くクラシックは今までにない新鮮さが感じられる。明日は奥穂小屋へでも行ってブラームスでも聞いてやろうか。隣のテントから歌謡曲の合唱が始まった。テントのポールにカラフルなヘルメットが置かれてあるところからは何も聞こえてこない。彼等には歌や言葉など必要でないのかも知れない。それより1本のザイルがあれば、何も要らないのかも知れない。それとも、体中どこを探してもそんなエネルギーはないのかも知れない。僕は見た、先輩に怒鳴られ、こずかれ、涙を必死にこらえていた若い奴。彼は先輩の後につき、南稜を夢中で駆け下りて行った。彼はクライマーなのである。
 夏の終わり、今日も夏の日は照りつける。北穂からキレットへ少し下りたB沢下降点に一人の登山者が腰を下ろし、滝谷側を見入っている。眼の前に広がる荒涼たる世界、もしこの世に地獄があるとすればこんな所をいうのだろうか。すぐ傍をクラック尾根が走り、二人のクライマーが取付いている。時は過ぎ、日は昇る、白ヘルと黄ヘルの二人はザイルに結ばれたまま中間部にあるフェースにへばりついている。霧に包まれた滝谷に雨が降る、通り雨が降る。B沢の彼はまだそこに居る。腰が上がらず、足に力が入らず、そこにうずくまっている。B沢は急峻であった。全てを洗い流すように雨は降る、都合のいい雨である。自らの力のなさを感じ....本当は怖いのだろうと問いかけてみる、死んだら何処へ行くのだろう。「人は星になる土に返り星になる」銀河系町北斗七星26番地ジョンゴレロ。
 三つ道具と1本のザイルを入れた小さなザックを背負い、カモシカのように靴は岩を吸い付け、僕は南稜を駆け下り始めた。僕にできることは何もなくなった。今日まで張りつめていた気持ちがいっぺんに飛び去り、ヘロインの切れた人間のように無気力が体を包み込み、なすすべもなくそこに倒れた。弱いのである、疲れてしまった、もう終わり。また何が始まるだろうか。新しいロマンとドラマを追って何かが始まるだろうか。突拍子もないことをするかも知れない、いつまで続くんだろうこんなことが、感覚的に物事をとらえ始めと終わりが合わないで平気でいる、理論人間になるのはよそうよ....今のうちだもの。穂高は変わらない、いつ見ても変わらない、風が吹いても雨が降ろうと雪が降ろうと山は変わらない。でもいつも息づいている、そんな山を心のどこかに持ち続けたい。
1975年8月某日

夏の終り その2 前衛を求めて
多部田 義幸

 単独登攀、このことについて僕が考え始めたのは昨日に始まったことではないのであった。登攀の味を知った時以来、今日まで岩と言えば常にこのことが浮かんでいた。初めて行ったのが日和田山のゲレンデであり、会員になったばかりの三羽烏に委員長が手取り足取り教えてくれたのが最初であった。その日以来、毎週日本橋フェースという石垣へ通うことになった。丁度冬の寒い季節だった。メンバーは三人、僕同様興味を示したらしい松谷と、好きだからとは言えよく毎週毎週僕達に付き合ってくれた委員長、あの頃は本当に楽しかった。そんな練習が3ヶ月も続いたろうか、冬が終わり春が歩き始めた頃、そろそろ限界にきてそうな能地さんに実践面での登攀を教わったのである。どういうつもりであったか知らないが、八ヶ岳の稲子岳南壁へ連れて行ってもらった時は嬉しくてたまらなかった。それからしばらく一人が続いた。でもどうしてもあの感触が忘れられず、時々思い出すかのように日和田山へと行っていた。秋に入ると松谷が動き始め、学校のクラブで習ってきたという彼と幽ノ沢へ行き、バットレスで一応僕の欲望は満足でき、来年に期待が持てるようになった。しかし、学校のクラブを優先し基本的に岩に対しての接し方の違う彼とはザイルを結ぶ機会がなくなり、また一人になってしまった。ルームへ行っても岩をやるような奴は居ないし、岩の話でさえタブーなように思えてきた。自由な時を持てるのが今年で最後だという焦りがあったかも知れない。1年に8本登れば3年で24本、主なルートはだいたい終わるだろうと思っていた。その時僕は23才であり、それから2年は自由な登攀ができるはずであった。体力が下りだしたり、真面目になって女のことを考えてやるようになったら、もう岩はできないだろうと思うのである。少なくとも精神的に不安定になるのは確かである。僕はここで愚痴や嫌味を言いたくて、こんなことを言っているのではないことを信じてもらいたい。
 今年も夏が終わり、夢から覚めたように気がついてみると、もう冬山の話が出る頃になっていた。いつまでも何かに目をつむりそれを避けていたら、そこから先へ抜け出ることはできやしない、現状に満足してしまったらあなたの青春は二度と戻っては来ない。三峰のようなサラリーマン山岳会において、長期の入山は不可能かも知れない。だけど、そのことだけに囚われていると毎年同じパターンの繰り返しで終わってしまうだろう。表側にある冬山の楽しさを味わい、それで満足できるうちはいいかも知れない。だけどより充実感のある自己の可能性を探ってみたいと思う奴もいるかも知れない。そんな時、今までのように確実に登れる山はどこか、始めからこういう方針で目標を設定していては、視野の広い積極的な山登りを楽しむことはできないだろうと思うのである。彼等にとって冬山合宿の成功、不成功はその山の頂に立てたか、立てなかったかが問題ではなく、その頂きを目指す時のプロセスにあるのではないだろうか。そのことについて悔いの残らないようにするためには、自分達の持てる全ての力でやったんだという山域を選ばなければならないと思うのである。確かに南アルプスより穂高を7日でやれる可能性はずっと小さいかも知れない、でもそれをあえてやるより次の飛躍が生まれるのではないだろうか。
 春合宿が終わり、一ノ倉も雪の中から開放されだすと、僕はいても立ってもいられなくなり、暫くご無沙汰していた日和田山へと向かった。人目を避けるように平日を選んだゲレンデには誰も居なかった。ボナッティー流に二度同じピッチを登り返すやり方があり、1枚のハーケンを打ちそれに身を託す方法もある。日本岩場の現状を考えると、後者の方がよさそうである。しかし、どちらにしても大した差がないことは確かであった。我を信じ、運を天に任すほかないのである。
 夏の太陽がギラギラに輝いても、ここは少しも日など当たらない北尾根三峰涸沢フェースRCCルート。同志会ルートの水壁に赤い捨て縄が風に揺れている。その下を蟹のようにトラバースを始めた。RCCルートだろうか、夢の世界を漂っている僕は正規のルート確認でさえ覚束ないのである。どこでも登れそうなのに身体がついてこない。足許から小さな石が落ちるのを見た時、初めて自分の置かれている状態に気づいた。もう遅いのである、石のように身体は転げ回り涸沢へ吸い込まれていくのである。「本当は怖いのである、死にたくなかった」助けてくれよ、大声で叫んだ、その音が穂高の山々に伝わり再び僕の中に入り込んでくる。助けてくれよ、誰もいないこんな所へ、なぜ一人置いていくんだよ、本当は寂しいんだよ。
 夏の太陽の照り付けるツェルトの中は蒸し風呂のように暑く夜とは逆である。その時悪夢から解放される。汗をかいた肌に清風が吹きつける、実に気持ちが良い、今日も涸沢は人息が続き、相変わらず穂高は僕を取り巻いている。 夢から覚めた今、あの赤い捨て縄だけが残っているのである。単独登攀、夢の世界でしかあり得なかったのだろうか....この一言が全ての真実である。今は涸沢に吹く風の如く新鮮であり満足ではないか、少しも悔いは残らない。ザイルを結んでも、単独であろうとも、一人であることに変わりがなければ、また夢を見たいような気がするのである。僕は自己本位であり我儘である、そうでなければ今度のような山行などやれる訳がない。特に委員長には心配の掛けっぱなしである。あの人の顔を見ると、頭の中にある言葉の10分の1も出てこやしない。それでも、途切れ途切れの言葉から僕の気持ちを読んでくれていたのは嬉しい。山にしても、音楽の世界であっても、自由だという精神、一人であるという感覚が過去のものとなってしまったら、そこには真実など何も生まれやしないだろうと思うのです。
 山登りには軽登山、縦走、沢、岩壁、冬山、スキー、色々あるけれど現在ではどれが欠けても登山の一部なのかも知れません。人により山への接し方、感じ方は違うでしょう。でも僕は登攀が登山の中でベストなものとしていますが、決して縦走、スキーがどうのこうのという気持ちは持っていません。だけど今の山岳会で岩に対して消極的であるということについては分かりません。人間がさほど嫌いでもなく捨てきることのできない者には、山岳集団よりむしろ同人みないなほうが良いのかも知れません。これから先、三峰にカラーの違う若い奴がでてきたその時、どうするつもりなのでしょうか。....歌謡曲を聞きながら書いていると、こういうことになってしまいました。他人の部屋の中に土足で入り込み、そのことに何も感じなくなってしまったらもう人間は止めましょう。「あんた、あの子の何なのさ」こんな言葉を聞いたことはないだろうか。マスコミが最近よく使っているけれど、あなたはどうですか、こんなことを言われたことは、この言葉に思い当たることはないだろうか。流行はその時代の象徴かも知れない、女が一声はりあげると男どもはよしよし好きなようにしろよ、何て言っちゃってそこに男と女、本来の火花が生じないで何も感じなくなってしまう。甘いということと優しいということの違いがこね混ざってしまい、それをほぐそうとしない。男から見ればこんな主体性のない言葉はない。あなたも誰かにこんなことを言われたら、一度そのかわい子ちゃんから離れた方がいいだろう。少し距離を保って彼女のことを見たら、また新しい何かが生まれるかもね。その方がお互いのためになるだろうと思うのである。このことはどんなことにも当てはまるのではなかろうか。主体性がないということはそのことに振り回されて、結局は人間の魅力である個性も失われてしまうと思うのである。僕はこんなことをふと今感じたのである。「あの子、あんたの何なのさ」
Softly, as in a Morning Sunrise.
朝日の如く、さわやかに。寒さに耐えながら雲海に浮かび上がる太陽をあなたは見たことがあるだろうか、その時何を感じたろうか、同じところから昇り、同じところの沈む、太陽は毎日同じことの繰り返しなのである。でもいつも新鮮さは失われない。なぜなら、絶対同じ表情で昇らないからである。新鮮さの感じられなくなってしまったものほど、つまらなく魅力の感じないものはない。歳をとっていようが、そこに情熱や冒険、ロマンとドラマを求める精神、あなたの青春は息づいているのである。華やかなりし過去を懐かしむだけでなくもう一度自分のものにしてみてはどうだろう。


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