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編集後記
松谷 洋美

編集後記に代えて
 編集の場で自分で勝手に企画しながらやっていると、ついついふざけ過ぎてしまい、一体俺は何が悲しくてこんなことばかりやっているのだろうと、ふと思うことがある。普通に振る舞っていても実質以上に軽薄に見られる僕は、それに注意してなるべくニヒルに行動しようとして一応抵抗はしてみるものの、やっぱり元の木阿弥である。三峰の可愛想な連中ばかり見ていると、知らず知らずのうちに同情をしてしまい彼等の生活に一抹の光でも差し入れてやりたくなってピエロとして振る舞うのだろうか。それとも人並み以上にサービス精神が旺盛過ぎるのだろうか?ともかく、今ままた夜になって自分のことが本当に阿呆に見えて仕方がないのである。
 サービスという言葉ですぐ考え込んでしまうのが、サービス社会の到来ということである。昨日、2月20日、今月にはもう山形へ帰っていく真木君と新宿の高層ビルに初めて登ってみた。驚いた。見渡す限りゴチャゴチャした景色である。こんな広い所にウジャウジャした人間どもが皆社会サービスを生業として生活している。農業、工業はもう片隅に寄せられてしまっている。人間の住む場に田畑がないというのは何と不自然なことか。完全な脱工業化社会の到来なのである。都市は人間を農工業から開放することで何を与えたか?土地からの開放である。今や人間は土地に縛られることなく身体一つあれば生産可能な状況にある。身体一つ運べば金を得られるサービス業中心社会は不幸なことに女にも経済的独自性を与えたのである。そしてこの現象はそのまま今日の離婚増大を推し進めている。農業社会ならば離婚とは土地から離れることであって、それにて生産不可能となる。経済的不安定要因が離婚を押し留めていたのである。今日ではもう、こうはいかない。女が駄々をこねだすのは三次産業社会到来と同時に発生するのである。
 ついでに書いておくと高齢化社会とは、そのまま夫婦生活の長期化である。これもあまり良い事ではない。連れ添うのに飽きてしまうのである。また、女というのは老いぼれるということを知識では知っていても感覚的に認めようとはしない動物であるから、いつまでたってもまだ私だけは若いし美しいのだと思いたがる。これも離婚増大の原因となる。
 さて、三峰のカップル諸氏は以上のことを念頭に置いて、その上でもう私にも離婚が近いかも知れないと思わなければならない、人間とは決して主体的には動けず客観的要因に左右されるからである。これらのことを忠告として発すると同時に僕は、一度でいいから女房に逃げられた男を赤飯を炊いて祝ってみたいという本能に近いどうしようもない好奇心がある。今、三峰カップルは7組であるから統計確率からいっても一人くらいは女房に逃げられた男が目出度く誕生しても不思議はないではないか。その時には結婚の時にケトバシをやるような三峰であるから、反対に三峰総上げでドンチャン騒ぎをやって心か祝ってあげたいと思う(ああ、また馬鹿なことを書いてしまった。これだから僕の編集はいつも評判が悪い。特に女性票がさっぱり集まらない。故にこれにて編集は今回限りで辞めさせていただきます。オソマツでした)。


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