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一ノ倉沢 冬日
多部田 義幸

 冬山合宿が終わると学生にとっては嫌な決算期に入る。とりわけ僕にとって今回は4年間の総棚ざらえであったはずなのに、どうも世の中は間違った方向に進んでいるようである。
 昨年もそうであったように、この季節になると岩壁への憧れが頭を持ち上げてくる。精神的な不安定感が増せばそれに比例する如く僕の山への欲求も増えるこの頃である。べつに逃避の対象としている訳ではないけれど、気持ちは常に憧れの世界を向いている。
 上野発10時13分の長岡行に飛び乗る。この列車に乗り込むと緊張とも不安ともつかぬ思いを感じるのはなぜだろう....でも冬の夜汽車に登山者は誰も居なかった。僕の周りにも華やかなスキーヤーが冬の季節を楽しんでいる。前橋を過ぎる頃、暖かな車内の水蒸気が外気の悪戯によって窓ガラスに結晶模様を付け始めた。それを素手で払い落とす、するとまた寒々とした街の灯が車窓越しに見え始めるのである。寂寥の向こうに何があるのだろう。私は確かめたくて夜汽車に乗った。夜明けになっても赤錆びた風景の中を線路は何処までも続いていた。私の旅はいつ終わるのだろうか。....吉岡治のこんな詩を思い浮かべた。
 数人のスキーヤーと僕はトンネルの中に放り出された。列車がホームを走り出すと、あの嫌な音がこの長いトンネルの中を飛び回る....スキーヤーの笑い声と僕の靴音が。
 谷川岳ロープウェイの眩しいほどの照明が殺風景な辺り一面を照らし出し、そこに光と陰のファンタジーを作り出す。その境に入り込めばそこは闇の中。夏のざわめきが嘘のように、あの登山指導センターもひっそりと雨戸を閉ざしきっている。今年は雪が少ないのだろうか、アスファルトの一ノ倉街道も本来の原型をどうにか留めているようだ。
 懐電に照らし出される踏み跡を頼りにしばらく行くと西黒尾根の取付きである。街道はそのまま尾根を回り込むようにマチガ沢へ向かっている。足を休め明かりを消せば、急に冷気が襲いかかってくるようである。その時向こうに青白い灯を見た。まさかと思いながらもまた懐電を消してみるが再び見えはしなかった。いざとなるとゾクゾクするものである。しばらくして懐電に照らし出されたものは、青いボンボンテントだった。辺りの静寂を破るかのごとく道の真ん中に張られたテントの中ではゴーゴーとバーナーが鳴っていた。
 雪の斜面を左に大きくカーブすると突然目の前に現れた白い尾根、一ノ倉尾根である。子供のようにはやる心を抑え出合に急いだ。薄暗い空間に全てのことを悟り切ってしまった聖者のように勇々たる姿で映し出された白亜は素晴らしいものであった。現世から逃避してしまった我を感じるのである。本谷に入り込むが雪に埋もれた沢に夏の面影はない。キュッキュッと新雪を踏みしめる靴音が谷間に響くようだ。我を取り囲む如く白い壁がそそり立つ。そこに手を伸ばせば染まりそうな冬の弱弱しい光が照らし出される。ドドッという音と共にCルンゼ、滝沢上部から相次いで表層雪崩が起き、一瞬のうちに本谷に消えた。突然の現実到来のため、慌てて山側に避難しようとしたものの何事もなかったように谷間は元の静寂へと帰っていった。
 あんなに白い雪だって、いつかは溶けて消えてしまうというのに。忌まわしい冬が去れば山野にも春が来るというのに。出来そこないのブーメランだって返る意志を持っているというのに。こだまが反響しないなんて、その不自然が怖いんです。
 出合に戻る途中、二人のクライマーに会う、一人は僕と同じくらいの年頃である。何気なく言葉を交わしてみるが、あまり口を開けてくれようとはしなかった。でも何となく親しみを感じたのであった。振り返ってみてもそこに彼らは居なかった。
 こうして一ノ倉を眺めていると自分にも何とかやれそうな気がしてくるのである。馬鹿で単純な男である。僕がそれを行動に移せば、結果がどうであろうと無謀登山、その一言によってかたずけられてしまいそうである。事実そうであるのだから仕方ないのだが、日本山岳会無謀登山推進委員会の委員長である以上、仲間の手前そうそう常識的な山行ばかりやっていられないのがこの頃の私です。全面的な協力を望もうとはしないけれど、立場上のご理解ぐらい願えたらと思うのであります。一昨年の3月、積雪期の一ノ倉で最後に残された滝沢第二スラブがAGSJの長谷川氏によって完登されましたが、国境稜線で出迎えを受けた氏曰く「男は度胸、女は愛嬌」と言ったそうです。それ以来、我が委員会では長谷川氏を名誉会員に、その言葉を合言葉にして活動を始めたのであります。理念①全ての満足、即ち幸福と呼ばれるものも実際は常に消極的なもので、決して積極的なものではない。それは元来、我々に自然に幸福が与えられることでなく常に何か一つの願望の満足である。というのは、願望即ち欠乏があらゆる快楽に先立つ条件だからである。満足と共に願望は止み、従って快楽も止む。
②生命に対する強い執着は不合理で盲目的なものです。
 ハイキングに毛の生えたくらいの山登りをしていた僕がひょんなことでこんな風になってしまった....全く自分でも気が付かないうちに。運命論者ではないがこれも運命なのだろうか。一人の時は束縛されると思い、山岳集団など堪らなく嫌だった。三峰に入りたての時は、冬山や岩登りなど恐ろしくて嫌だった。岩登りを始めた頃は、冬の登攀など考えたこともなかった。まるで自分とは別の世界の人間のやっていることのように思っていた。ヘルメットを持っている奴やクライミングブーツを履いている奴を見ると近寄りがたく思えてならなかった。TTCの高柳という人に「無雪期の登攀だけやりたいのです」と相談したことがある。」その時「登攀は夏季だけとか区別していませんので....岩登りを重ねていくと僕の言っていることが解っていただけると思います」と言っていたのを思い出した。そんな自分が今は....「ナポレオンになったような気持である」こんなことを考えながら出合を後にした。今日の僕は何と晴れやかであろうか、フォービートの鼻歌交じりに新雪に包まれたブナ林と灌木の退屈な道を土合へと急いだ。


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