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冬山偵察の槍ヶ岳
下司 真知子

山行日 1975年10月10日~12日
メンバー (L)別所、甲斐、下司

 いつからと言って、松谷編集長に原稿を頼まれて以来、私の苦悩は始まったのでした。それは朝のコーヒーを飲む時から、仕事の最中にも、広い湯船に身体をどかっと沈み込ませる時でさえ、原稿用紙の白いマス目のチラツキは消えないのでした。しかし、今日は4日。締切日の5日に間に合わせるためにはどうしてもこの白いマス目と対決せねばならない。
 槍ヶ岳登山。それは私の記憶能力を遥かに超えた4ヶ月も前、山々が色づく頃のことなのです。思い出せなくて泣きたくなるのをぐっと、イヤじわっと我慢して、のたうちまわって、呻いて、記録をもとに記憶を辿る(なんと涙ぐましいこの努力)。
 昨年の10月10日(金)は晴れでした。そうして、ぽっかり浮かんできたのは、ただひたすら走り続けたというそのことだけ。同行者の別所リーダーと甲斐さんは、その辺の公園でも散歩するかの如くゆうゆうと歩いているのだけれど、私にとって、私の二十数年間の体験を通し慣れ親しんできた『歩く』という言葉では決して語られない速さでもって登り始めたのでした。
 河童橋を15:20に発ち、槍沢ロッジまで4時間と5分。山の暮れは思いの外早く一気に足許は霞んできました。と、右手後方よりガサガサっと熊笹の動く音。空っぽの頭の中に突然、何の断りもなく侵入してきたため全神経が物音に集中する。『今の音は何?』と聞くのも恐ろしく、ましてや振り返って見る勇気もない。やたらに冴えてきて枯葉一枚の落下さえ聞き漏らさないよう。結局、正体を確かめずに進む。
 しばらく行くと河原がずっと開けてきて横尾山荘に到着。思いもかけない所から野ウサギがピョンピョン飛び跳ねてきてウィンクするので、これは多分雄だとにらみ、パン切れとチョコレートの中のアーモンドを分け与える。またしばらく歩くと一の俣小屋。ここでは降り注ぐ満天の星を仰ぎ、暗くのしかかってくる山塊と寒さにゾクゾクっと身震いをする。そしてまた走り、かなり歩いたなあと思う頃前方に灯が....ホッと気が緩みつい遅れがちになる。が、どうやら槍沢ロッジに着く。即腹ごしらえをしウィスキーをガブッと流し込みホッカホッカになって21:00消灯。
 翌朝、天気は曇り。これから長い長い槍沢を登り始める。最初のうちは素晴らしい紅葉に心もうきうき。がすぐに足が鉛のように重くなってしまった。子供がズック靴を履いてピョンピョン登って行くのを横で恨めしく眺める。一面ナナカマドの実が真っ赤に染まっているので皆で採集する。何度目かの休憩で別所リーダーがビタミン強化の携帯食だと小さな袋を取り出したので試食してみる。それは粉状のもので大きな口を開けて放り込むと何と、きな粉と言うかはったい粉、と言うより小鳥にやるエサのような妙な味がするのである。おまけに口の中にこびり付いてものも言えないし息もできない。これには参ってしまった(アレは本当に人間が食べる物だったのでしょうか?)。ここの登りは本当にきつかった。もう山なんか....と思ったほど。しかし、頂上からの眺めがたった今思ったことを吹き飛ばしてくれた。10:50槍ヶ岳登頂!。360度、遮るもののない展望は筆舌に尽くしがたいものであった。1:00過ぎより雪がチラホラ。後は予定を変更して新穂高温泉に向けて下るのみ。小雨の吹き上げる中、尾根伝いの這松に掴まり藪の中を潜りひたすら走り続ける。傘を片手に走る姿も珍奇なもので猿回しのサルを連想する。とにかく走って走って、ふらふらになって穂高小屋到着が18:40。
 ストーブを囲んでのビールが心地良く喉を潤し、山菜入りの味噌汁が何と美味しかったことか、小屋のおじさんがとっても親切な人でした。
 何しろ大変だったけれど、行って良かった昨年10月の山行でした。


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