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行動と思索の中で
熊谷 信之

 単独登攀は相当困難である。幾度か岩から離れようと思いながらも暇を見つけては独り出かけてしまう。日和田山のゲレンデに足を運ぶようになりもう1年以上にもなる。
 幾つかの会への誘いがあったけれど体力的、技術的なものよりむしろ安全策をとっているように思えた。独りならば無鉄砲なこともできないであろうと。しかし、それが逆に自分を小さくしてしまうのではないかと気付いた時、三峰山岳会の田部多、桜井両氏に出会ったのである。
 東京の雑踏から逃れたいがために、独りになることに疑問を抱きながらも何かに力をぶつけたい、何かをしなければならないと自己暗示にかけて。それが単独行という形に表現されたのかは今もって皆目不明である。山と孤独の葛藤に打つ勝つことに己を見つめることが出来るとしたならば、何処かに行かなくては独りにならなければならないと考えていた。
 行動には常に目的あるいはそれを起こす理由があり、必ず思索が伴うものである。行動とは山登りという極めて過酷な肉体労働で、それの目的あるいは理由とは「なぜ山に登る」という「なぜ」なのではないのか。「そこに山があるからだ」という大同小異の即答ではなく深い思索の後に生まれた答えを持ち得た時こそ真に「自分の山」を確立したと言えるに違いない。肉体と精神の合致それが優れた人格の形成に繋がるのであって、どちらか一方のみが欠けたり、止めてしまうのは片手落ちである。
 自己満足の域を脱しないのではないのか。


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