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甲子山から三本槍
稲田 竹志

山行日 1976年3月19日~21日
メンバー (L)稲田、川田、久山

 高原の温泉はひっそり戸を閉め切って風の強さは足をすくわれそう。バスを降りたらすぐ完全武装になる。ヤッケを着て目出帽を被る。ウールのパンツを履いているがモモヒキなるものは持ってこなかったのが悔やまれる。ニッカーの膝がビシビシ痛む。アスファルトの道路でこのザマだ、すごい地吹雪に意気消沈も甚だしい。甲子温泉の大黒屋(これは立派なホテル風)で30分ほどサボる、おやじの話によると1週間ほど前に4人くらいのパーティが三本槍を越えて来たそうだ、また甲子から入った単独者は雪のため引き返してきたとのこと、きっとルートが判らず下りたんだろう。阿武隈源流とも別れ、甲子山の尾根を詰める高度差650~700m、予想以上の雪で足を取られ時間を食ったが幸いに天気が回復してきた、目出帽をゴーグルに替え雪盲を防ぐ、甲子山山頂に1時頃着く。この辺は一面の霧氷の別世界だ。天気が不安定だが展望はある。
 赤崩山はいい被写体だがこのボロカメラではどうにも頼りない(話は横道にそれるがこの山行後、決断してやっといいカメラを買ったので来年のコンテストでは小生も賞を狙っていることを宣言)。赤崩山のトラバースは厄介だ。かろうじてやり過ごし、この山の直下の尾根にかじりつくと足元の谷底に坊主沼避難小屋を見つける。時刻は2時、予定では須立のコルで幕営だがこの小屋の素晴らしさに全員一致で居座ることに決定、谷にあるがこれなら雪崩でもびくともしない、野田さんありがとうと差し入れの酒に浮かれ、外でマットを敷きお店を広げる。
 翌朝3時起床、須立のピークへ向かう。この辺も雪庇の連続でナイフリッジありの痩せ尾根でピッケルで足場を探り進む。須立直前のガレは夏場の道は不明で直登する。ピッケルをぶち込みハラハラして通過。今日も朝から降雪と地吹雪、三本槍分岐へ来た、今日のルート決定はここで観天望気の末決めることになっていた。相変わらず天気は悪くなることはあっても良い方へは望めないと判断し、三本槍のみピストンしエスケープをとることにした。つい3ヶ月前の事故のことを考えると気味が悪く足早に登頂し写真を撮り、転げ落ちるようにして元の分岐へ下る。大峠への尾根をとるがこれまた雪庇が凄い、大峠へ着くと初めて他の登山者のテントを見た。
 川田さんは用事のため今日中に帰りたいとのことで三斗小屋温泉で別れる。温泉でのくつろぎのためかいつの間にか僕の南月山プランは蹴飛ばされてしまい....?(いやそうじゃなかったかな自分でも妥協したのだから)明日は峰の茶屋越えてさっさと東京へ帰ることにしてしまった。結果的には次の日を悪天でそうするより仕方なかったが....風呂でたるだな、こりゃもう....部屋の隅に置いたザックには雪が積もってきた、窓の隙間から吹き込むらしい、豆炭入のコタツに入っているというのに髪の毛はあっという間にカチカチに凍りつき、凄まじい部屋だ。


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