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その1 山の会に思うこと(61才となって)
長久 鶴雄

 山岳会と一口に言っても色々で、その定義付けは至難なことでもあるし、またその必要はないのではなかろうか。何故なら、山の好きな連中が集まったもの、それらの人達を対象とした企業が運営上の一部として作ったもの、また技術の促進、指導、体育の錬成等を目的として作られたもの、あるいはそれらの連絡、交流に資するため作られた連合体等、それぞれ山の会が生れた目的が異なるからだ。ともあれ、始めに山があって我々はそこに登り、やがて同好の仲間が集まり、山の会ができていったのである。大部分の山岳会がそうであるが如く、私達の三峰山岳会もそうした原点より出発して現在に至ったものである。従って何をするという明確な目的等はないが、会則に示す如く登山を通じてお互いの心技交流と親睦を図るくらいのもので、変に気負った大目標なぞなく、従って現代流の華々しさといったものはなかった。しかし、それであるからこそして現在まで40数年の歴史を持つことができたのであると私は確信する。
 しかしながら、山岳会の隆盛、衰退はその会員が山で行動するか、しなくなるかで決まってくるのがこうした山岳会の通例である。こうした山岳会を隆盛に導くには実際に山で行動し得る若い同志を維持しなければならない。
 一方人々は年をとり世帯を持つと体力的、環境的に山にあまり行けなくなる。だがこの連中でも、つい先頃までは会の推進力であり、会に所属して行動したことに誇りを持っていた者たちであり、何らかの形で会に心を繋げていこうとしているし、会の発展を願っているのである。だからといって実際に行動する若い世代の会員達がこのO.Bのペースに同調する必要はないのだ。O.B達も決してそれを求めてはならない。他のO.B達もそうであろう如く、私にとって三峰山岳会は安息の場であり、また生涯を通しての心の支えの一つであるからだ。
O.B連にはその一つ一つが既に踏んできた道であろうとも若い人達にとっては真実新しい道なはずである、安易に援助を求めず自らの考えで行動してこそ進歩があると私は思うし、そうしたことが会の隆盛に繋がっていくものだと思う。
 幸い会の委員達も若い世代となった、お互いに山の好きな仲間で作った山の会であることを再認識し、新しいこれらの会員を増やしこの世代のコミニュケーションを良くし行動する会に脱皮していって欲しいものだ。
 新たに会員となる人達は私達と同様に山が好きな仲間であり共に行動できる楽しさを求めていると信じて受け入れて欲しいものだ。また、委員諸君は決して己を卑下してはいけない、指導する器でないとか、援助が未熟だとか、そう考えること自体が山岳会のあり方、見方を誤り、山岳会に属するメリットに偏重固執することになるのである。私達の山岳会は階級差別もないし。メリットを看板にもしていない、ただ共に行動し語り合い楽しみを一緒にする気持ちで対処して欲しいものだ、例えその行動範囲が冬山だろうが、低山や藪山だろうが、はたまたヒマラヤであろうとも....ただ最後に一言。我々はこうした理念で山岳会を構成しているからには、その姿勢において軽挙妄動、自我、不道徳などで社会の批判そしりを受けることのないよう充分に留意して欲しいと思う。
 私は40数年来こうした気持ちで会に関わってきたし、努力もし、引き継ぎ、見守って、その時代時代の世代の若者達に期待を寄せ続けてきたのである。
 そして若者達は皆、立派にやり抜いてくれたことを深く深く感謝しているものであります。


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