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その2 三峰の将来
野田 昇秀

 年報三峰創立40周年記念号の会の歩みに書かれている通り、私が委員長を担当した44年は夏山冬山合宿共に中止となり、いよいよこの会も解散かとまで話題にのぼるほど停滞していた時でした。三峰の長い歴史の中で最近における最大の危機ではなかったかと思います。この時期は何故停滞したかを当時の責任者として反省し、それを元に未来の姿を想像してみたいと思います。
 当時は新人募集をしていなかったので活動人員が減少していた上に、岩だ沢だと毎週のように山へ行っていた人達の高齢化と社会的事情により山から遠ざかっていったことが先ず挙げられます。幸いなことに播磨、山本、鈴木のトリオが縦走を主体とした山行を続けていましたので、何とか会としての命脈が保てた状態でした。この事実から毎年新人募集を行い少なくとも活動人員の減少は避け、むしろ増大の方向に持っていかなければなりません。また活動の内容も多様化させる必要がありましょう。ハイキングを主体とする人達、藪山歩きを好む人達、岩谷沢や冬山を登る人達といくつかの流れがあった方がよいと思います。それは三峰の中を分割するのではなく、山登りが個人の主観で行われるものであり、岩はやりたくないとか、ハイキングはどうもという人達がいるからです。山岳会としても岩が停滞すると会の活動が停滞するのでは困った問題になるのです。それぞれの登山が会の主流であるような活発な活動が必要です。
 次に会の中心としての委員長の責務があげられます。私が何をしたかと今考えてみますと何も思い浮かびません。結局何もしなかったのでしょう。会に方向づけ、新人訓練等、詳しくは稲田さんに聞いて下さい。
 まだまだ会がより発展し、よりよい三峰山岳会にするべき要素は沢山あると思いますが、絶対に忘れてはならないのは創立者、宮坂さんと長久さんの山を愛し会を思い続ける気持ちだと思います。若い人達が心ゆくまで山登りを楽しむ会に両方の暖かい理解と協力があり、それが三峰の誇りです。今後このような先輩が増すことを期待します。播磨、別所、山本さん、どうか両方の後に続いて下さい。
 さて前置きが大分長くなりましたが、三峰の将来はどうか、良き指導者に恵まれ、多数の会員を持ち、例会は毎週のように計画され、合宿には海外登山が計画されるほど発展する未来像を描いております。その頃に私は、多分山登りは続けているでしょう、しかしながら発展し過ぎた三峰を想像できてもその中に溶け込めない私の姿が重なります。
 先人達の丹沢、奥秩父を例会に中に取り入れる余裕を発展の中に期待します。


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