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その3 三峰に望むこと
今村 信彦

私が数ある山岳会の中から三峰を選んだ理由の一つには、上下の隔たりがあまり厳しくないことがある。全くないと言えば語弊があろうが普通ごく一般的には新人が重荷を背負い、炊事をし、その他雑用全てをするのが新人教育のためには当然という考えがある。しかし、これほど矛盾したことはないと思う。肉体的な諸条件(年齢差、勤務等)は別としても、経験者ほど同一条件ならばあらゆる点で新人と比較し、ゆとりのあるのは当然であろう。先輩も後輩も同じ金を払って同等の苦楽を共有しあってこそ当然と考えるからだ。また、先輩、後輩の差は単なる会の在籍年数の相違にすぎない、ゆとりある者がない者を助け、いたわる気持ちの方が山仲間として必要ではないだろうか。山という共通の楽しみを持った会に、会社等の上下の関係や同僚同士の競争意識など必要のあるはずもなく、対等の立場で接しられてこそ息抜きとして趣味としての山岳会の存在があると思う。また、規律とは別問題で我が会にはあまり細かな会則はないけれど、これはあくまで社会人の団体であり各々良識ある行動を取れということだと思う。
 入会当初、私が未だ学生だった頃は合宿に限らず集中登山、例会、ルーム等に非常にルーズさが感じられ非常に不安だったように思われた。しかし、考えてみれば学生のクラブのように同一条件にあるメンバーと比較してみると、社会人の場合は職場の相違、勤務条件等が各々全て違い、なかなか同一歩調を合わせるのが難しいのが現実である。そして学校を卒業し社会に出ている現在、このようなルーズさが気にならなくなったというより、寧ろ当たり前のような気がしてきた。それでもいくら難しいことを言っても、もう少しどうにかならないものかと思うこともある。それには会としても個人としても何か大きな目標を持つべきだと思う。同じように山好きと言ってみたところで各自それぞれのニュアンスがあり、これをまとめるのが実に難しく時として投げ出したくなる気もしないでもない。長く会に籍を置いていると途中何度も退会を考えたこともある(理由はその時々によって様々である)。しかし、単純に山仲間というより環境条件の違った人間関係を通じ学ぶことの方を大事にしたいと思うようになった。


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