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エピローグ

 社会人山岳会とは一体なんだろう。このテーマは正月合宿が終わってからずっと私を悩まし続けたものである。また、岳沢での春合宿に参加して増々その疑問は募るばかりであった。それ故に、今回の岩つばめはトップにこんな仰々しい特集を組んでしまった。若干後ろめたい気がするが、諸氏の思索の場として参考になっただろうか。同一テーマに関して他人の意見を聞くということは、特にそれが文章化されている場合は割合冷静に判断できるものであろう。今回は意識的に多様な人々に原稿を依頼した。その年齢、経験、立場等の諸条件によって予想通り意見は食い違いを見せたようである。諸氏の意見を読んだ上で軽々しくこの私は結論を引き出せない。また、そうしたところで三峰が私の意のままに結して動く訳はないのである。
 登山とは山を見つめ、自分の心を見つめながら山に登るスポーツである。どんなに大勢の仲間と一緒に山へ登ろうと山を見つめ、自分の心を見つめるのは自分一人なのであろう。つまるところ、自分自身の登山観の確立と実践が全てではなかろうか、それを踏まえてお互いはお互いの山についての考え方や方法論を尊重し、とことん語り合うことによって実践すべきだと思う。
 私にとっては山に登る楽しさの他に三峰の仲間との交流の楽しさがある。街の灯りの下で飲み屋の片隅で過ごす時間はとても楽しい。あらゆる年齢、職業の友と山のこともその他のこともさりげなく酒の話題にし、自分にないものを相手から盗ませてもらえる。無限の空間の中で偶然一緒に共有の場を持てた哀感を大切にしたいのである。


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