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ある錯誤 ー地図でポイントをおさえて行こうー
宮坂 和秀

 昭和38年の夏、甲斐駒ヶ岳から仙丈へ登った時のことである。
 まだ夜の明けたばかりの韮崎からはバスの始発が出るには2時間余り時間があった。そこで車でもチャーターしようと町内を物色して歩いていたら、丁度良い具合に電気器具店のオヤジさんが早起きで店の前に出てきた。渡りに船とばかりに交渉すると、家のトラックで送ってやると承知してくれた。
 早速7人で荷台に乗り込んで出発した。電気屋のオヤジさんには竹宇の駒ヶ岳神社のつもりで「駒ヶ岳」へやってくれと依頼したので、てっきりその通りに行くものと私達は疑いを持っていなかった。その日は曇りで陽は差さず、夏とはいえ冷え冷えとして心地良かった。
 「さあ、着きましたよ」の声で降ろされたところは大武川ダムの下であり、どうもおかしい。「こちらからも随分と登りますよ」と、この道を行けばよいとのことで、さっさと帰ってしまった。地図を広げて色々検討を重ねると、薮の湯のやや上流であるらしい。してみると、この道というのは大武川沿いに仙水峠へ登るもののようで、仙水峠からは駒ヶ岳へは当然登りうるわけで合点がいった。
 6時半頃であったが、うねって登って行く道を20分ばかりで「しるたる沢橋」というのがあった。汁垂沢に道が入っていることであり、協議の結果この沢を詰めて黒戸山近くの登山道を目指すことにした。
 小1時間も登ると滝ドウという滝が現れた。道はここで終わっていた。滝ドウという名称はどこで調べたか判らないが、私の記録には記入されている。多分、大武川ダムかしるたる沢橋辺りに指標板が建っていて書いてあったように思う。
 滝ドウは向かって左側が登れるように思えたので私が登ってもう一人が続いた。最後のトラバースは空身で渡り、二人で協力して乗り切った。滝上に立って下を見下ろすと誰もいなかった。他の連中は呼ぶと応答があり、本流と左手の小沢との中間の尾根を登ったらしい。
 私達は滝上で食事をして水筒を満タンにしてから彼等の登って行った尾根と思しき方向へ登ることにした。彼等も尾根の途中で食事をしながら待っていてくれた。水を要求するので聞くと、誰も補充してこないとのこと、せっかく汲んできたやつを提供してしまい、以後約4時間の登りというのも辛い思いをした。
 天候は曇りから遂に雨となり、道というものはなく、尾根筋には獣道らしい踏み跡があるのでいくらか助かった。大体において森林の下の灌木の藪か篠竹のびっしり生い茂った所を悪戦苦闘しながらとにかく上へ上へと目指して行った。勿論頭からびしょ濡れとなり休んでいるとガタガタと震えてくる。喉が焼けつくように乾くので木の葉や笹の葉に溜まった水滴を吸って旨そうに喉を鳴らす。誰かが相当長い間登っているから、黒戸山へ直接登っているようだと言ったが、私は断じて違うと宣言した。桑木沢に入って左の尾根を登っているならば確かに黒戸山に出るのだろうが、私達はその一つ手前の汁垂沢に入って桑木沢との間の尾根を登っているのだから三宝の頭(1,873m)に出ると主張したのである。そうこうしているうちに缶詰の空き缶を発見したのでホッとした。近いと感じると元気が出るものである。上を向いている空き缶はこれまでの雨で水が溜まっているので争って見つけては飲み干した。飢えた喉には何と甘露に感じたことだろうか。
 10分足らずで縦走路に出て、間もなく三宝の頭であった。黒戸山も過ぎて五合目の小屋までは2時間くらいもかかっただろうか。


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