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ヌク沢~甲武信岳~十文字峠
柴田 静子

山行日 1976年6月25日~27日
メンバー (L)松谷、久山、柴田、下司

 突然、山に登ろうなどと年に似合わぬ思い立ちをしたのが山行出発約1週間前でした、思い立ったが吉日とばかり、下司さんの誘いに決心したのが何と3日前です。
 ザック、シュラフ、その他山の道具は一切持ち合わせのない私なので、あらゆるところへ手をつくし何とかあり合わせながらも形を作っての出発。日頃体力のないことを自覚してはいるものの、「初心者でも何とかなる」との甘い言葉に釣られての山行。不安ながらも初めての体験で特有の胸のトキメキを感じつつ列車に乗る。
 塩山駅に降り立ち、暗い中を歩き始める三人の後をどこに行くのか不思議に思いながら付いて行くと、駅から少し離れた駐車場の隅にいるわいるわ、男女の性別つけがたい人々が梯子段の横棒のように並んで仮眠をしている。まさか....と思うと案の定、そこにテントカバーを二つ折りにして柏餅のアンコのようにザックを枕に仮眠....。これまた初めての経験。背中から伝わるコンクリートのひんやりした感触と真上に見える星空を味わいながら少しまどろむ。4時頃起き、駅前に戻り、運ちゃんが腰を上げるのを待ちに待ち、タクシーに乗り込み沢の入口に着いたのが6時。朝食を摂り、15分ほど休んで出発。
 入口より歩き始めて約1時間、沢と出合う。その頃から小雨がパラつき始めるが、地下足袋にワラジという出で立ちと沢水の冷たさに少々バテ気味だった私もシャキッとする。石から石へと渡りながら容赦なく冷たくなってゆく沢水に不安を感じているうちに、遂に出ました恐怖の連瀑帯その1....。梅雨時でもあったせいか、ドドーッと大きな音を立てて流れ落ちる滝の凄さに驚く。始めの頃はまだ良かった、後ろを振り返る余裕もなく登ったせいか大した恐怖心もなかった。ここで本来ならF1は約何mの高さ、何処から取付き、どのように登ったと詳細に書き記したいところだが、恥ずかしながらそんな詳しい記憶は朦朧としている。こんな体験記を書きながら、その実今でもあの連瀑帯を登ったなどという事実はまるで夢の中の出来事のような感覚でしかない。
 足場がなくてザイルに縋ったこと、小さな濡れた足場から滑った私の足をしたから押さえてもらったこと、滝の左側の濡れた藪の中を登る時、ようやく届きそうな木の根元に必死で手を伸ばしたものの親指と人差し指を除いた3本の指が開かなくなり「もうダメ....」と一人呟いたこと。滝の右側から取り付いて前に登った二人と同じように左手前にあった丁度三角形の形をした岩を跨ぎ右足から左足に視線を移した途端、足元をまるでダムの栓を開いた時のように豪快に流れ落ちる滝が目に入ったこと。確保されてようやく登った小さなテラスにちょこなんと座り込み「ザックを下ろして休みなさい」という言葉にも、立ち上がってザックなど下ろしたらそれこそ真っ逆さまに落ちてしまうのではないかと恐れ微動だにできず、しゃがみ込み急な岩場を登ってきたことへの恐ろしさと寒さに唯震えていた。
 シュラフの中で眠りにつく間際、背中から何か鷲掴みにされて滝を真っ逆さまに落ちてゆく夢ともつかぬ夢を見て、ピクッと体を震わせたこと。そんな断片的なことだけが私の中に浮かび上がってくるだけです。テントに入ってホッとしたらワーワー泣き出すんじゃないかと思ったことも、何も知らず全身用のエアーマットを持っていって笑われたことも、豚汁の味も、朝日の中で冷たい沢水で顔を洗った清々しさも、辛かった翌日の峠越えもみんなみんな決して忘れられない。同行させてくださった三人の方の手助けがなかったら、さながら力尽きたカエルよろしく四つん這いになってゴツゴツ岩を滑り落ちていったことでしょう。
 お陰さまでまるきり素人の私も何の傷もなく、両手両足に大小さまざま色とりどりのアザをつけたくらいで無事に下山できました。
 山に登ることができたという充実感がこんなに素晴らしいことだったなんて今まで知らなかったんです、またこれからも参加させてもらいます。
 松谷さん、久山さん、下司さん、本当にこころからありがとうございました。


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