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北アルプス逍遥
野口 孝司

山行日 1976年7月26日~30日
メンバー 野口

 今年は人生において一区切りがついたので、6月には立山へ、7月、8月は槍ヶ岳を中心にカメラをともに漫歩をしてみましたが、今夏は小笠原高気圧が不安定でガスと雨に悩まされました。なにせ老人の気儘な一人旅なのですから疲労による怪我と病気には十分注意を払い、マイペースを保って歩きましたがシャッターチャンスを得るために、時間と場所の関係でその点多少は無理をしました。
 7月の下旬、豊科駅に早朝下車し、パートナーを探して三ノ股までハイヤーで入り、烏川に沿って作られた新道を蝶ヶ岳に登りましたが、寝不足の上、真夏の太陽は背後より照りつけなかなかのアルバイトでしたが、コースは思ったほどのこともなくヒュッテに着きました。ガスが出てきましたが待望の穂高連峰を前にして先ずはビールで乾杯とばかり小屋に入り小休止の後、ザックよりカメラを取り出し表に出てみると、これはしたり一面のガスでチャンスを失ってしまった。夕方より大雷雨あり、遅くまで遠雷鳴り止まず、明日の天気が気にかかる。
 今日は大天井岳まで予定しているが夕方までには着くだろうとゆっくりしたが、天気はどうも思わしくない。穂高連峰の上部は既に雨雲がかかっている。予想通り蝶槍の急な下りとなる頃、とうとう雨となってしまった。濃いガスと横殴りの雨の中、ピークを越えても越えても常念岳は遠い。常念小屋で遅い昼食の後、横通岳を巻く頃は雨も上がりガスもやや薄くなってきた。東天井岳付近は雷鳥が多く見られ、特に5羽の子連れママは子守に忙しく、シャッターチャンスに恵まれたことは幸運であった。
 大天井荘の朝は昨日と打って変わった晴天で立山、剣岳、後立山の遠景と目前の雲海上に浮かぶ穂高連峰が印象的であった。東鎌尾根を西岳へ、そこからもったいない程の下りで水俣乗越に出る。これから槍ヶ岳まではまだ遠い、疲れが溜まってピッチが上がらない。ガスが小雨になった頃、ヒュッテ大槍に着き、殺生小屋では本降りとなったので今宵の宿とする。夕食後の入浴にあずかり、疲れも取れ気分爽快となる。遠雷鳴り止まず。
 槍ヶ岳の肩から頂上へは相変わらずの人の波で交通信号機の必要が感じられるほどなので割愛する。小屋の裏手より展望を楽しむ。笠ヶ岳の特異な山容の彼方には加賀白山が浮かんでいる。近くには西鎌尾根の山々、そして黒部五郎岳、薬師岳....、しかし先を急ぐのでしばしの別れを惜しんで南岳へと向かう。途中、大喰岳、中岳は残雪が多くグリセードの真似をする。大キレットはいつもながらのアルバイト、ガスで滝谷の垂直な壁は残念ながら見られない。飛騨泣きの悪場を過ぎた頃から雨となり北穂小屋までの長かったこと。日没後、夕立も上がり晴れてくる。笠ヶ岳、槍ヶ岳、常念岳が残照の中に黒く浮かぶ、そして蝶、常念、大天井、槍の各山小屋の灯りが瞬きをする。下を見れば涸沢のキャンプサイトからの灯りと時々打ち上げられる花火が印象的である。
 小屋のすぐ上が北穂高岳頂上である。今朝も天気は良い、大キレット越しの槍ヶ岳はいつ見ても飽きない。行く手の涸沢岳、奥穂高岳、前穂高岳が毅然として立ちはだかっている。涸沢岳の登りもなかなかきつい。頂上からのジャンダルムが大きく手に取るように見える。穂高山荘で一息入れて最後のアタックとばかり奥穂高岳へ向かう。頂上ではまたもやガスで全然駄目なので吊尾根を前穂高岳へと歩き出す。分岐点から重太郎新道より岳沢ヒュッテへのコースを取ったが、今年6月衆議院事務局長が重太郎新道の下りで転落死して死体が奥明神沢で発見された事故があったが、ここは分岐点より約40分ほどの所で道が二分されていてすぐ下で一緒になるが右折の道は這松帯で踏み跡は若干不明瞭だが簡単である。左折の方は岩場でクサリが設けられているが滑りやすく足場の悪いコースで、転落すれば奥明神沢へ一直線という所である。重太郎新道は他に悪場はないので事故の起きた箇所はこの所と思われる。岳沢ヒュッテに2時半到着。ビールで乾杯し上高地へ向かう。河童橋付近は相変わらず人の波。バスターミナルで呼び止められてハイヤーで松本へ、夜行の鈍行で伸び伸びと寝込んで帰京した。


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