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米子沢遡行(巻機山)
桜井 且久

山行日 1976年10月2日
メンバー (L)桜井、別所、多部田、木村、下司

 今回の山行は私にとって底抜けに明るく鮮やかな印象を与えた。三峰の原点である山を愉しむということを再認識したとも言えるであろう。5月の岳沢、7月の御神楽沢、8月の北鎌尾根と三峰の合宿形式の山行には努めて参加してきたものの、日常的な例会山行には皆無と言ってよいほど参加することができなかった。仕事での理由故、仕方がないと言えばそれまでであるが、何か三峰の一員であるということに一種の隔たりを感じないではいられなかった。ルームに行き他メンバーの楽しそうな報告を聞くにつけ羨ましい限りであった。自分一人で許された時間を冬山に向けて一途に考えており、何か孤独感さえ覚えずにはいられなかった。自分にとって冬山こそ登山の最高形態であり、至上の愛をぶつけるべき対象である。それは一種の悲愴感さえ感じられるものであった。また、私の選択した仕事の性格上、平日休みで日曜、祭日は原則的に休暇は不可ときては、例会山行に行けないのは当然と言わねばなるまい。まさに、冬山に関係のない無駄な山行になど私の貴重な時間を使う訳にはいかなかったのである。そんな思慮の浅い私に米子沢遡行は心の余裕を取り戻させ、人間であることを再認識させる(多部田君曰く)ような充実した、さわやかな感動を引き起こしたのである。毎日仕事に追われ、精神的にも肉体的にも疲労を覚え、おまけにロッキードだのピーナツだのと日常生活の中で出合う諸々の不愉快な事柄がずんと遠のいていくような印象を抱かざるを得なかったということなのである。
 10月2日(土)曇り後晴れ
 8月末の北鎌以来、山とはご無沙汰であった。ほんの1ヶ月の間に夏山は終わりを告げ、早、初雪の報が聞かれる土曜日、急に休みが取れることになった。会員住所録を片っ端からTELしたものの、あえなく敗退。それでも多部田君が同情してくれたのかOKだという。しかし、日帰りで秋のムードに軽く浸ろうというロマンチックなムードでいた私には多部田君と二人きりの山では少し考え直したほうが良さそうでは....(失礼!)。そんな訳で若干意気消沈していたところ今、三峰で人気絶頂の下司・木村コンビが参加してくれるという。おまけに久しぶりに別所氏にもご同行願えることとなり、喜び勇んで上野を出発する。朝方、仮眠をとった後、危うく一番のバスに乗り遅れそうになる。清水部落からしばらくは林道歩きが続く。米子橋の河原で朝食を摂り、いよいよ米子沢の遡行開始。しばらくは単調な河原歩きが続き面白みはないが巻機山の上部が手に取るように分かり上部の紅葉が美しい。通称燕岩を見送ると核心部のゴルジュ帯が出現し小さな滝が連続するが滑りやすく決して馬鹿にはできない。何せ三峰きっての伊達男さえ風呂と誤って飛び込んだというのですから....。途中、高巻きルートをとらずに水際沿いに登ってきたためか意外に時間を食う。そのうち、広く平らな大テラスに到着し昼食とする。ここは絶好の休み場で左右に展開する紅葉と緑の鮮やかなコントラスト、目の前に広がる大源太、仙ノ倉方面の山々....まさに三段染めの錦絵を見るかのようで我々を十分堪能させてくれた。ここから大スラブが始まる、右に左に自由自在にルートを取る。雪と急流に磨き上げられた大スラブは威圧的に展開し、ゆっくり味わいながら登る。傾斜が落ち幅が狭くなると、のどかな草原となる。全く、終始明るく開放感に満ち快適な沢登りが楽しめ、山仲間とこの充実感を共有できるということに、この上ない満足感を覚えた。日帰りではもったいないような山、巻機山の一日でした。
 そんな訳で時間を充分使って登ったため下山は井戸尾根をひた走る。途中、アケビ等秋の味覚を探し歩いたのでまたまた時間を食ってしまう。そのため、清水部落よりタクシーをチャーターしてどうにか朝帰りだけは免れたようです。今回は私にとって心底から楽しめた山行でした。御老体に鞭打って頑張っていただいた別所氏。最初に同行をOKしてくれたバランス多部田君。それに終始明るい健康的な笑顔を振り向けてくれた下司・木村嬢コンビ。この四人には本当に感謝しております。ありがとう。

〈コースタイム〉
河原出発(7:15) → 燕岩(9:40) → 大テラス、昼食(11:15) → 山頂(13:15) → 五合目(15:30) → バス停(17:00)


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