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三峰まつり
播磨 順子
実施日 1976年7月3日~4日
参加者 宮坂、長久、野口、野田、別所、播磨(忠)、播磨(順)、川田、稲田(竹)、稲田(由)、山本、桜井、松谷、北林、久山、渡辺、木村、葛岡、下司、他3名

 星空の下、年に一度の三峰まつり、晴れを前提として計画するのに毎年申し合わせたように雨が降る。そして雨が降るのを前提として屋根の下で行われることを楽しみにワクワクしながら集う人もいる。今年も例外に漏れず朝から今にも降りそうな空模様から始まった。
 子持の我々は同じく子持の川田さんの車に便乗し新松田に向かう。午後より降り出した雨は以前弱まらず、とても外でお祭りなどできる様子ではなく予定地に着いた所は一見のあばら家で軒先から滝のように雨が降っていた。ビニールの上敷きが一面敷いてあるものの障子もなくガラスもなく入口から四方に風は吹き抜け、7月とも思えないほど肌寒い。車で駅までピストンし、久し振りにすっかり元気快復された宮坂さんもみえ、雨足も弱まってきた夕方には総勢20人ばかりが集まったろうか、女性4、5人で手早く下準備をしたまでは良かったが、本日のメニューには欠かすことのできない鉄板がない、1枚しかない!それも何と30X25センチぐらいの1枚しか....。バーナーに火を点け遅れてきた桜井グループが着いて全員揃い、さあお祭りの開始で「かんぱあーい」。
 味も大して分からないだろうグループのところに鉄板がいき、彼等は鉄板の上で肉をジュージューいわせて食べていた。さて、その他のグループはグツグツいわせて深鍋を覗きながら肉入り野菜煮込みを食べました。あーこの違い!外がすっかり暗くなった頃には雨も上がり、キャンプファイヤーを囲みのりにのった三峰シンガーズが印象的でした。近所の家(と言っても一軒だけですが)では迷惑していたのでは?それとも土曜の夜、テレビのゴールデンアワーの番組よりよほど面白かったかも知れません。12時頃までお祭りは続きました。
 そして一夜明け、さあ今日は沢登りだと昨夜と同一人物とは思えないほどのビシッとした動き!三峰の人間らしさを感じました。
 朝食の後、スイカ割りをすることになり、またまた意地悪な先輩はまるで違う方向を教えたり....後輩の人達も大変ですね、こんな先輩と太刀打ちするのですから....。
 その後、OBと子持ちと沢登りグループに分かれそこら辺の散歩へ、沢へと思うまま、人のいなくなった家屋はまた一軒のあばら家に戻っていました。

滝郷沢
稲田 由美子

 ドシャ降りの雨の中を出かけた三峰まつりだったが、参加者も多くその気迫に負けてが雨も止み、新旧顔合わせの楽しい夜になった。半数は既に寝静まった頃、外では残り火チョロチョロ、残党ウロウロ、酒はチビチビ、思い出ゆらゆら....こうして色々な顔が集まったとき、これが何とも言えない三峰の顔になる"いいな"と残党の一人一人を炎の向こうに見る。暗闇の中に浮き出た顔はどの顔もとっても素敵だ。そうこうして全員が眠ったのは2時頃だったろうか、次の日は快晴とまではいかないが、まあまあの沢登り日和といったところか。長久さんを始め数人を残して滝郷沢へ出発。沢は思ったより変化に富んだ面白い沢で大変な所も2、3あった、高巻きもした。私が個人的に知り合いの子供二人とママ一人を同行させてもらったが、チビ達も相当きつかったろうと思う。途中、何ともイライラしたことが一つある。それは私めの頭の上を颯爽と行く久山、下司のお二人さんである。見上げれば長い足がドカッとスタンスを確実に踏み、ヌーッとその手があさっての方に伸びる。こちとら、おとといの方を探しとるつうに。天は誠にもって不公平であると時々につけ思うのである。野田さんを先頭にかなりの高巻きもやり、辿り着いた林の中の頂上は緑に囲まれ心地良かった。三峰祭りに続く山行にしてはいつもより歩きでもあり、こくのある山行だったと思う。残り火を囲んで暗闇の中での思い出話から滝郷沢遡行まで、とても楽しい久し振りの大勢の山行だった。今は新しく加わった人達も多く、これからはこういう大勢の山行もきっと増えていくに違いない。
 いくつもの山行が計画され、その中から自分で考えて選んで参加する。これだけの過程でしかないのに、参加して山を降りるまでに色々なことを思い、色々なことを経験する。明日からもまた私なりにポツリポツリと出かけずにはいられないと思う。


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