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夏山合宿を終えて
川田 昭一

山行日 1976年7月23日~25日
メンバー (L)川田、播磨、桜井、稲田(竹)

 当会の会報誌「岩つばめ」は山にちなんだ随筆、紀行文などで作り上げたもので、会員はもちろん他の山岳会の人達にも多く読まれている。
 これを年に数回発行するため、それはそれは編集長、または補佐の方々のお骨折りには大変なものがあります。
 この負担を少しでも軽くするために会員の一人一人が進んで協力するというのが一応の建前ですが、実際は編集長または補佐の面々からお声がかかったまあ「白羽の矢」が立ったと思い諦めの気持ちで原稿を作って差し上げる人々が多い、しかも締切りぎりぎりで間に合わせる。反対に自主的に原稿を黙々と書き上げる人は少ないようです。
 私の見た夢の中の「某なにがし」は大変熱心に会のために動き回っておられ、勢い余って寝込みを襲うような気迫で原稿の依頼を迫るといった方でまさしくそのような夢を見たのも束の間、数日後には正夢となって「某なにがし」が目の前に現れて「西瓜を食いながら炬燵にあたり、夏山の記録を読む、これ季節感がないなアー」と一言言われ、挙句の果て原稿を書かされる。
 皆さんにも思い当たることがあるでしょう、そんなことが原稿の記事になるのです。
 例えば、合宿に参加して飲めない酒を無理に飲まされ、これがもとで今じゃ左党第一人者、不味い飯を食わされても旨い旨いと言わねばならなかったこと、肩に食い込む荷の重さに耐えての苦しい登りの時の思い出、屁をこきたくてもすぐ後ろから登ってくる人に遠慮して体調を崩したこと、など色々ありますね。
 今回の夏山合宿は只見川流域に連なる数々の山のほんの一部を歩いたに過ぎない合宿でしたが「素晴らしい」という一語で夏山合宿の報告は終わりです。
 何が素晴らしいことなのか、それは行かなくてならない季節を選んで、自分の足で踏み入れ、この目で確かめ、触ってもらえばよいのです。
 機会がある都度、奥只見、奥利根周辺(尾瀬も含む)の山行を計画したいと思っております。
 尚、参考までにコースタイムを付け加えておきます。

〈コースタイム〉
7/23 奥只見ダムサイト(5:30) → 不動沢(7:40) → ミノコクリ沢(8:15) → 林道終点(10:15) → ミチギノ沢出合(11:20)泊
7/24 泊場発(5:30) → ムジナクボ沢(11:00) → 大戸沢出合上部(14:30)泊
7/25 泊場発(5:30) → 駒ヶ岳(9:20) → 中門岳を往復して下山(14:30)

私の袖沢・御神楽沢
播磨 忠志

 5万分の1の地図の「桧枝岐」を開くと中央やや下に会津駒ヶ岳があり、その頂上より北に向かって御神楽沢と言われる沢が流下し、その沢は下流では袖沢と名前を変え、銀山湖の少し下で只見川に注いでいる。今回はこの袖沢を遡行して会津駒ヶ岳へ登ろうという計画だ。私はいつもこの地図を広げて見る度にこの流れを辿って駒の頂上へ立ってみたいと思った。地図で見る限りその穏やかな屈曲の少ない緩やかな感じの流れ方はそれほど悪場を秘めた様子もうかがえないし、そこにはあまり俗世間に汚されない太古のロマンがあるような気がしたのだ。しかし、そこを訪れるには一般的に記録も見ないし、私にとって大変な冒険をするように思われた。しかし、川田君が計画した今回の合宿のお蔭でこのチャンスが遂に巡ってきた、この山行は私に充実した日々を与えてくれるに違いない。
 小出駅からタクシーを飛ばし、シルバーラインの長いトンネルを抜けるとそこはもう朝もやに煙る只見の河畔であった。右側に見える大きなダムの向こうには銀山湖が広がり、昔この湖底では名前の通り銀が採れたらしく、当時は今では考えられないほどの賑わいを見せた言われている。そしてその頃には只見川に沿う道も人の往来が激しかったろうが、現在は電源開発という名のもとに多くのダムが作られ電力やまた観光といわれる資源となって人間社会を潤している。
 タクシーを捨てた八崎から林道沿いに大きく迂回をして只見川の谷底へ降り、只見を渡って尾根を回り込み短いトンネルを抜けるとそこはもう袖沢である。沢は上流で取水をしているらしく水量は意外に少なく朝靄の中で数人の釣り人が竿をたれていた。我々の今日歩く林道は電源開発のための立派な林道で、数日前にブルドーザで整地をしたのであろうかほとんど凸凹もなく乗用車でも楽に入れるようだ。しかし、この道に入るのには電源開発公団の許可が必要であるとタクシーの運ちゃんは言っていた。この林道は最終的にはクドレ沢の少し上流まで入っており、袖沢の遡行もこの林道により大変楽になっている。もしこの林道がなければこの遡行も数日間は余計にかかるであろう。途中廊下状の所もあるし、大きく深い淵も1ヶ所や2ヶ所ではなく、苦しい渡渉も何度となく強いられるであろう。これらを林道は忠実に高巻き我々を簡単に沢の核心部まで導いてくれる。
 この単調な林道歩きもこれから始まる沢歩きのプロローグと思えば苦にならないし、炎天下の行軍も今日あたりからの完全なる梅雨明けを約束してくれているようで心強い。
 林道が終わると今までと違って水量の多さにびっくり。林道の終点の取水ダムによってここまで流れてきた水はほとんど下流へは流れず、今までの袖沢とは違った感じだ。もっともミノコクリ沢の出合より上流は袖沢も御神楽沢と名前を変えてはいるが。ダムのすぐ上に滝があり、ダムによってできた淵のため滝の下まで行けず左岸より高巻く、巻き道らしきものがあり案外簡単に滝のかなり上流まで行けた。おそらく岩魚釣りの人が結構入っているのかも知れない。
 第1日目はこの少し上流で幕営と決め、日はまだ大分高いのであるが、夜行の疲れを癒やすことにした。付近で流木を集め夕飯の用意をする、今回は極力バーナーを使用せず焚き火によって炊事をすることとし、大いに原始的雰囲気を求めようとした。初日は川田君の苦労も実らず一匹の岩魚も取れなかったが、美味しい夕食に舌鼓を打ち早々に床についた。
 2日目、今日からいよいよ本格的な沢登りが始まる。地下足袋にわらじを履き、朝の冷たい沢水の中に第一歩を踏み込む。ミチギノ沢までは平凡な沢床、ミチギノ沢と本流が分かれる所が淵になっており、その奥に3mぐらいの大きな釜を持った滝があり、桜井、稲田君は持ち前のバランスでそこをへつり難なくパスをするが、ロートル二人は右岸を高巻く。何しろ朝もまだ早いし太陽も山の上に顔を出さず、少々格好の良いところを見せようとガンバッて行水でもしてしまっては目も当てられない。次の滝は左岸を高巻く、この辺は滝の高さはそれ程でもないのだがみな大きな釜を持っておりなかなか取り付きにくい。
 暫くは平凡な状態が続き、8mぐらいの滝と二段の滝をやり過ごす。この辺は次から次へと面白い滝が現れ順調に行程を伸ばす。我々と相前後して、玉川金属会津若松工場山岳部の島田さんという方が友達の釣り人二人と一緒に釣りをしながら登っておられた。玉川金属会津若松工場山岳部というのは我々がこの袖沢遡行の教科書とした「ふみあと」なる会報を発行した山岳部で、島田さんは昨年この袖沢を遡行したとのこと、そしてその時に岩魚を沢山釣ったので今年は友人の釣り人を案内しがてらミチギノ沢を遡行して三岩岳に登ると言っていた。そして本日は御神楽沢を途中まで遡行して岩魚を釣っているのだとのこと。この辺で私は足を滑らし頭まで水に浸かってしまった。
 暫く行くと両岸相迫りこの沢最大の40m二段の滝に出合う。この滝は水量の多い時には取り付けないであろう、即ち滝に取り付くまでが少しの間廊下状で我々はそこを胸まで浸かる渡渉で抜け、一段目を左より越して、二段との境を右へ移り左岸より慎重に越した。見た目には簡単そうなこの滝もホールド、スタンスが大まかで少々外傾しており、この時に初めてザイルを使用した。この辺がこの沢の核心部とも言える所で、スケールの点ではやはり丹沢や奥多摩の沢とは比べ物にならない。
 ムジナクボ沢は知らない間に通り過ぎ、問題のチョックストンを持った20mの滝に出合う。この滝はこの沢を遡行した森沢さんという人が高巻くのに40分を費やしたと書かれていた滝だ。大きく深い釜を持った滝は泳いで渡らなければ滝に取り付けず、もしそれを嫌えば嫌らしい泥混じりの溝を攀じ登ってから捨て縄によって懸垂下降をしなければならない。我々は胸まで水に浸かり後者をとった。そこからは岩のごろごろした間を行き、それが終ると立派な滑滝が現れ、写真を撮ろうとして稲田君がカメラを滝壺に落としてしまった。この上に四段の滝があり右から越えると垂直に落ちる15mの滝が現れ左岸より高巻く。これが終ると沢も平凡になり左より大戸沢岳より落ちる沢を見送り、その少し上流にて本日は幕営することにする。
 2日目の夜は川田君が苦労して釣ってくれた岩魚にもありつけ、中には一尺に余る大物もいたが合計で7匹を釣り上げ、4匹は夜を焦がす焚き火のもとで我々の胃の中に収まり、残りの3匹は腹ワタを取り出し塩をまぶしてお土産として各人のザックに収まった。岩魚釣りは非常に難しく、川田君しか釣った経験がなく、私などは今年の5月に釣ったとき、地球ばかりを釣って針を取られ全然釣れなかった。だから今回は最初から釣る意志はなく専らエサの調達に精を出した。岩魚のエサはその辺に飛んでいるトンボで充分で、トンボの羽を左右半分くらい切り取り胴体に針を刺して釣るのである。稲田君も何回か試みたようであるが収穫はゼロであった。
 夕食の後、岩魚を肴にして持参のウィスキーを飲み、本日の悪戦苦闘の疲れが出たせいか気持ちよく酔ってしまい、桜井君の自慢ののろけ話を聞く余裕もなく、あえなくダウンしてしまった。今夜も満天の星空が明日の晴天を約束してくれているようだ。
 3日目の朝は前日同様雲一つない快晴で明けた。今日は待望の駒へ抜ける日だ。幕営地から暫くは平凡な遡行が続き、その突き当りは小滝の連続となり1ヶ所30mの滝は慎重に登り、他はワラジを効かせての快適な遡行が続いた。そこが終るとさしもの御神楽沢も水流が細くなり源頭の感を思わせた。途中水流の中にサンショウウオを捕るための仕掛けがあちらこちらに仕掛けてあり、それは檜枝岐の漁師が仕掛けたもののようであった、そしてサンショウウオは漢方薬として大変高価に売れるそうだ。
 御神楽沢のエピローグは熊笹の藪と頂上での広大な展望とそして中門岳へ続くナンキンコザクラの咲くお花畑の道であり、そしてそれは尾瀬に続く道のプロローグでもあるのだが、沢の中で計画していた大杉林道から尾瀬を経由して帰るというコースは頂上でカワイコチャンに会うとあえなく挫折し、本日帰京予定の稲田君と温泉に入りたいと盛んに主張する川田君に引っ張られてそのまま檜枝岐へ下ってしまった。しかし、残念ながら電話をかけた小豆温泉は満員で断られ、折よく通りかかった帰り車のタクシーに交渉して鬼怒川まで1万円で飛ばしてもらい、その日の内に東武電車で帰京してしまった。
 これで今回の袖沢・御神楽沢遡行も無事終了し、私も大変に充実した山行を味わうことができました。これはひとえに綿密な計画と事前の調査をしてくれた川田リーダーのお蔭であるし、私のようなロートルを最後まで引っ張り上げてくれた稲田、桜井両君のお陰だと心から感謝し、私の報告を終わりにしたいと思います。


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