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毛渡沢シッケイ沢
林田 雅子

山行日 1976年7月18日
メンバー (L)稲田(竹)、稲田(由)、川田、今村、林田

 早朝、土樽に到着、寝不足でエンジンがかからぬ、足の機嫌を伺いながら深い影を落としている林道を歩き始めました。群大ヒュッテ手前でシッケイの頭で合流する予定でダイコンオロシ沢とシッケイ沢とに分かれ、私は稲田夫婦、今村、川田さんに同行しました。
 緑に囲まれた中で水の上に顔を出す石を一つ一つ飛んでいく楽しさは子供に返ったような気分になりました。このまま頂上まで行けたら何の苦労もしないで済んだのですが....。台風9号の影響でしょうか、ガスが立ち込め辺りの山々をすっぽり隠してしまいました。怪しい天候に惑わされながらうんざりする程の登り、草地にやってきたのでホッとしたのも束の間、これから頂上までが急勾配で滑り易い場所だったのです。風雨にさらされた古木、熊笹をしっかり掴み我が体重を支えて夢中で登りました。頂上に着いたのでが1時、熊笹が波打ちキスゲの花が寂しく咲いていました。足元に見えるダイコンオロシ沢をイイ沢と勘違いし、何度も降り口を見つけようと藪漕ぎをしました。今どこを歩いているのだろうか、夜まで藪漕ぎをしなければならないのではないかと不安は広がるばかり。枝に足を掛けるとブルブル震え、まだ歩くのと言っているようでした。気弱くなっていく私に「4年前の夏、櫛形山で道に迷い頂上付近で野宿したことを考えてごらん。経験者もいなければ道を聞く人もなく、一日中喘ぎ苦しみ何を信じたらよいか分からなくなってしまった。それに懲りず、あなたは望んでシッケイの頭に登ったのではないか、天気が悪い、足場が良くないのは自然の姿なのに私があなたを里に帰さないようにしているなどと勝手なことを言っている矛盾する気持ちをどう説明するつもりだろうか」と手厳しい批判をする別の私がいました。何となく気持ちがゆったりとしてきて、モートーモートーと掛け声をかけてくれる稲田夫婦、今村、川田さんに励まされ6時過ぎにはダイコンオロシ沢と仙ノ倉谷の出合に着くことが出来ました。土樽駅では野田、播磨さんが私達のことを心配して3時間も待っていてくれました。私は自分のことで頭がいっぱいだったので恥ずかしくなりました。
 私の登山は、実は1週間後に終わったのです。土樽駅に置き忘れた万年筆が国鉄職員の好意によって私の手元に戻ってきました。


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