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その1 遭難を考える
桜井 且久

 「岩つばめ」の編集に若干関わりを持つことになって2回目である。前回は「三峰を考える」をテーマとし、今回は「遭難」特集とした訳であるが、やはりこんな仰々しいテーマを組むと後で悔やまれて仕方がない。テーマを決定した当初は割合純粋に考え込んで、それはそれでよいのであるが時が経過することにより次第に不純な要素が注入され、テーマが風化するのである。自分自身の筆が先に進まなくなってしまうということなのである。人に原稿を依頼しておきながら無責任極まる話で、誠に申し訳なく思っております。前年度の松谷君の編集は支離滅裂さが売り物で、それはそれで学生の特権である単純・未熟・向こう見ずなどを大いに利用してユニークな会報作りができたと思われます。ところが、私の場合には自己の性格にもよると思われますが、変に社会人という立場を考慮しすぎて物事の本質に生真面目に迫ろうとしたのが、誤謬の発端であったような気がします。あまりに自己の置かれた諸々の立場、環境等を深刻に考え過ぎますと何も進展しません。もっとエモーショナルに大胆に物事を考えれば割合スッキリと進むのかも知れません。あらゆる原動力は激情の一字に尽きるということです。
 さてさて毎回話しが堅くなって申し訳ございませんけれど「考える」シリーズにおいて今回のテーマを選択した理由を述べることにしましょう。前号にて三峰山岳会そのものの在り方を考察してみた訳ですが、山岳集団としてその志向は幾多もあるとして、やはりそれに必然的につきまとう遭難の問題を避けて通ることは出来なかったということです。登山の形態はともかくとしても真剣に山と取り組もうという集団にとっては必要不可欠なはずです。それは「登山を愉しむ」という意味においても好むとか好まないとかいう感情でなく、人と人との社会生活を営んでいる以上、「遭難の社会性」が存在せざるを得ないということです。
 遭難はある意味では登山行為がある限り自然と人間の微妙なバランスが崩れることが皆無でないという宿命を抱えているのかも知れない。実際、我が会の近年の例をとっても去年の6月、八ヶ岳(赤岳沢)でこの私と真木君のパーティの滑落事故があり、本年度は8月に前穂高岳にて多部田、熊谷両君が滑落事故を起こした。今回の場合は東京から4人の救助隊を派遣して収容したのである。また、その後の処置を巡って委員達の意見の食い違いが存在したのも事実である。この二つの場合は遭難と言うより事故と言った方がより正確であり、共に打撲、骨折程度で済んでおり生命に別状があった訳ではない。しかしながら、今まさに冬山のシーズンの到来である。毎年この時期に山の長期予報や警告が出される。そして強い体力、鍛錬された技術・経験を活かしても毎年遭難を起こすパーティが存在するのである。また、登山用具の進歩によって山の観光地へ気軽に出かけるかの如きパーティが事故を引き起こしているのも事実である。どちらにしても第三者に多大なる迷惑、被害を与える。それ故に遭難には道義的責任だけではなく社会的責任が含まれると主張される理由である。そして、あらゆる点でモラルの低下が叫ばれる登山界にも無責任さが横行している訳である。そんな悪しき状況の中でせめて三峰くらい遭難など起こしたくないと思うのである。少なくともつまらない事故によって尊き生命の一つが三峰から失われることだけは是非とも防ぎたいと哀願せざるを得ない。
 しかしながら、あまりに遭難の重要性を強調しすぎると山など阿呆らしくて登れなくなるのも事実である。登山にはある程度危険の克服があるからこそ愉しいのである。雪崩の絶対ない冬山なんてあり得ない。また、悪天候は冬山にはつきものである。未知の世界に憧れアドベンチャーを愛する精神はあらゆる登山者が所有していると思う。「攻撃は防御なり」という教訓すらあるのである。場合によっては退却するよりアタックしなければ危ないということであろう。程度の差こそあれ冒険の精神を愛する者は、より険しくより困難な登山を渇望するのは至極当然と言わねばなるまい。大体において30才を超えると行動への欲求は明らかに衰え始めるという。それ故、若者は少なくも一時期冒険としての登山に全力を打ち込むことがあっても良いと思われるのである。ただそこで無理な飛躍があってはならず、あくまでも段階的に経験を積んでいくことこそ必要なのである。事実、遭難なんぞそんなに多くはないのである。警察庁の調査ではその確率からいけばたかだか1.08%と言われるのである。マスコミが大きく書き立てる裏では、その何十倍、何百倍の登山者が無事に帰ってきているのである。安全登山を徹底して山に交通標識や信号が氾濫してきたら登山は死んだも一緒である。どだいレジャー面を推し進めるならゲレンデスキー、テニス、バレーボール、etcと楽しそうなものは街に溢れているのである。登山に興味がなくなったら無言で立ち去ればよいのである。無理して山男振る必要は一切ないと思う。何を選択するかは価値観の問題で、敢えて白黒をつけるべき問題ではない。私は三峰山岳会が多様な形態を取りながらもあくまでも山、自然を舞台としたドラマチックな交流の場であって欲しいと願う。会員が引き起こすかも知れない山における瑕疵については、全員で温かい手を差し伸べていきたいと思うのである。
 さて、若干話しが横道にそれたかも知れないが、今年度は冬山合宿が2種類行われる予定である。第一合宿は北岳より塩見岳の1週間の縦走であり、第二合宿は鳳凰三山か八ヶ岳で年内下山、2泊3日の予定である。それぞれの志向する山に、あるいは日程的な都合も考えて幾人もの三峰山岳会会員達によって冬山登山が実践されることを希望するのである。それがたとえ冬の日帰り山行もしくは冬山の机上登山であろうと....。


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