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その3 山と遭難について
小島 作蔵

 遭難とは辞書で引くと、山や海などで生命の危険にさらされる事とある。
 山ばかりでなく我々が生活していく上において何らかの事故の危険は付いて廻る。スポーツを行うことそれ自体は大変楽しいものであり、特にそれらの中でも困難なもの危険性を秘めたものが可能性の追求ということでよく選ばれるようである。登山でも夏山よりは冬山、尾根歩きよりは沢登りや岩登りの方が成し遂げた充実感として強く返ってくる。しかし、その充実感を得るためには体力、技術、精神力の三つが伴っていないと遭難に結びついてしまう。山ばかりでなく何事においても遭難、事故というものはあってはいけないものである。
 私も以前は岩登りや冬山に登っていたが、その間雪崩による遭難や転落による遭難を身近に経験している。しかし、それらを恐れて山を止めてしまうようなことはなかった。遭難を恐れ安全第一な山行、それはそれなりの楽しさがあると思うが若い人達には何か物足りなさを感じるのではないだろうか。ここ2年ばかり登山から遠のいているが強い印象として残っているのは、やはり苦労して成し遂げた山行の数々である。
 会員の方達も遭難を起こさぬよう体力、技術、精神力を充分に鍛えて、より困難な山行を望む人がいるならば、どんどんアタックしてください。冒険と無謀に違いを良くわきまえて....。
 しつこいようであるが遭難はいけないことである。山の遭難は何かロマンチックな響きを持つがその実態は交通事故や海難事故と同じである。多くの人達に色々な意味で迷惑をかけるものである。絶対に避けるべきものである。


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