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その6 近頃気になる事がある
長久 鶴雄

 遭難について何か原稿を....てなことだが嫌ですねェ遭難という言葉、近頃やたらと使いすぎ、それに慣れっこの感じ。
 言いたかないけど、昔は道に迷ったり、岩から落ちたりなんぞは遭難なんて誰も言ってくれなかった。研究経験不足、体力不足、技術の未熟の大間抜け、あたりが関の山。
 もっとも昔は文明文化も低うございまして、また登山人口も少なく、今のように気象科学や用具に依存してひどい目に遭うなんてこともなかったものですからね。
 山の好きな連中は案外にキザッぽいところがあるんで「遭難」という言葉がカッコよく聞こえるのかなァ。もっとも昔でも「山で死ねたら本望」なんてキザな奴もいたがね。山の事故にだけ「遭難」という言葉で表現しだしたのは戦後からと記憶する。たとえそれが人為的な事故であろうが、その言葉で何か照れ隠し的な逃避をしてる気さえする。新聞を始めとするマスコミの乱用が山男どもの弱点を突いてまんまと乗せられた感じがないでもない。 曰く「起こるべくして起きた遭難」「無謀登山による遭難」こんなの遭難なんて言うのかね近頃は!居眠り、未熟、無理な追い越し、運転による事故じゃないのかね、どうして山だと遭難なんだ....。
 人為的にも万全を期し、なお予知し得ない自然現象による避け得ない事故を仮定的に遭難とするか!これもおかしいのだ....近頃は科学の進歩で予知し得ないことって何なんだ?万全とはどこまでを言うのか?何が人為的なのか?いずれも確たる線引きができないことばかり、何が事故で何が遭難かわかりゃしない。それにも拘らず「遭難」で片づけ格好をつけ勝手な批判を下してみたり、ほんとにヤメテクレェー、と言いたい。
 戦後間もなく奥又白で起きたナイロンザイル切断事件、この時あたりから登山用具の信頼性が問われ、この事件は欠陥商品による遭難か、人為的(技術)事故か、また自殺か他殺かと随分論議されたものだが確たる証もないままいつの間にかマスコミによって遭難と美化され、遂にメロドラマばりの小説化にまでなった、遭難という言葉が山の事故にやたらに使われ出したような気がしてならない。
 岳人達よ甘ったれるなよ、遭難と事故という言葉をもっと本気になって考え立ち向かって欲しいものだ。
 私もそうであるが如く岳人達はロマンチストが多い、山で死ぬのは本望だ、なんて言いはしないが私は山とともに生き、山とともに死にたい。それが真に遭難であれば致し方なしとするも事故は決して起こしたくないし、それによって死ぬなぞとはまっぴら御免である。私の遭難と言う言葉の受け取り方はそんな形できている(間違っているのかも知れないが)。
 ともあれ近頃はやたらと遭難遭難と言い過ぎの感じである。その言葉の安易さが最近の山の事故の多発の一因とすらなっているのではないか、そんな気がしてならない。言葉の乱れている最近、私はあまり使いたくない言葉の一つだ。国電と同じように。
 一体何を私は言おうとしたのかな?自分でもわからなくなってしまった。どだい原稿を書けって言った奴が悪いんだ、救援頼む若い世代の方々よ!!遭難って一体何なのかしらね、君達にとって。
 オセーテ、おしえて。


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