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やぶで得たもの
島田 兆子

 山行報告を書かなければいけないのですが、元々物を書く才能に優れていない私は、いざ書こうと思っても頭の中にその時の風景が浮かばず困ってしまいます。今日は家の中には私一人、部屋の中もきれいに片付いて心地よいボサノバも流れ、夜も深まり物を書くには一番いい条件なのに....。日常生活の中でいかに文章を書く機会が不足しているのか考えさせるものがあり、山に行ってもメモ一つ取る訳でもなし、日記もここ数年付けたこともなく、手紙も最後にいつ書いたのか思い出せません。
 さて、いつのことを書いたらいいのでしょうか。12月5日、今村さんを先頭にして行った奥武蔵の藪漕ぎのことでも書きましょうか。三峰に入ってからは自分で計画を立てる楽しさも忘れ、いつの間にか付いて行くだけの山行になりました。あの日も地図一つ持っていかず、いったいどこの山に登るのかそれさえも知らないで生越まで行きました。奥武蔵と聞いていたのでハイキング気分で行ったのですが、戦没者の慰霊碑までの登りのきついのには参りました。ただの登りだったらいいのですが、階段が続いているので足を上げるのに四苦八苦、そこで10分くらい休憩して山道に入りました。息をハアハア言わせて辺りには目もくれず登りました。今村さんと久山さんは話をしながら登っていましたが、私にはそんな余裕なんてありません。付いて行くだけで必死です。いつもきつい登りになると思うのです、「何で山なんぞ来てしまったんだ」と。それが二度になり、三度になり、とうとうまた来てしまったのです。その後悔を救ってくれるかのように枯草の茂り見晴らしのいい所に出ました。「あっ大高取に着いた」と江川さんと二人で喜んだのも束の間、大高取はまだまだ先だと言われガックリ、でもそのガックリきた私を慰めてくれたのがあの枯葉の絨毯です。サクサクと音を立てて歩く、あの感激はいつも忘れられません、枯葉の醸し出すハーモニーは会社への不満や仕事の悩みを少しでも和らげてくれるのです。連日の残業に疲れ、この薄汚れた大都会にあと何年住まなくてはいけないのかと疑問を持ちながらも、自分ではどうすることもできないで生活を続けている現実、そんな私にあの絨毯は強く生きていかなければならないと勇気を与えてくれるのです。
 嫌なことを全て忘れて童心に返り歩いているとあっという間に大高取山に着きました。予想していたよりも展望の悪いピークでまたもやガックリ、昼時でしたが昼食を摂る気分にもならず桂木観音までひたすら歩き続けました。ここで腰を据えて昼食を摂っていましたが、他人の食べ物は美味しく見えるものらしく、自分のおにぎりは一個食べてお終い、江川さんのおにぎりと林田さんのサラダとワインに舌鼓を打ちました。この日の山行は、ここまでは地図にも載っていて順調にいきましたが、これからが大変でした。いよいよ、藪漕ぎの始まりです。地図と磁石の見方を今村先生に教えられながら小学一年生の私達は蜘蛛の巣を払い、針金の沢山ある尾根をスッテンコロリンと転びながら今村さんと久山さんに大分離されて二番目の三角点に辿り着きました。
 山の名前は分かりませんが大高取よりは展望も良く、やっと山に来たんだという気持ちを味わいました。久山さんはこの尾根を針金尾根と名付けました。今村先生は今まで歩いて来たところを振り返り、地図を見ながら現在地点を説明してくれました。地図の見方の分からない私にとって、藪漕ぎの時の勉強は本当に為になるものです。このような行事をすることを願って、これからの山行計画に期待したいものです。
 藪漕ぎはこの辺で終わり山道に入り、ユガテの村に入りました。此処は外部との交流を避けるかのように二軒だけの家が肩を並べていました。みかんの樹もたわわになり昔懐かしい五右衛門風呂が煙をたなびかせて、一昔前の世界に帰ったような気持ちにさせてくれました。
 素晴らしいところは、これといってない、この藪漕ぎが私の心に満たされて残っているのは、あまり人に踏まれていない山を踏んだという満足感なのでしょう。ヒマラヤの山々を踏んだ人にはちっちゃなことでも、今の私はそれだけでも満足なのです。あの澄み切った空の青さと心地よい枯葉の音を聞きにまた行きたいものです。


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