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雑感
別所 進三郎

 「三峰山岳会を愛するなんて理屈じゃない。山行を通じ先輩、同僚、後輩との人間関係を通し、何年か経つうちに自然に芽生え育つものじゃないか」これが三峰でお世話になった十数年間を経ての私の結論めいたものです。例えば、ある山を攻撃目標にスケジュールを組み、トレーニングをし、偵察、作戦会議をし、その間他の山岳会が同じ目的であることが分かって、意識して張り合ったりして入山前、山行中、色々あったりすれば目標に成功して祝杯を挙げ、失敗して反省の酒を飲む。そんな積み重ねの中から同じ釜の飯を食っているという仲間意識が培われてきたりし、「山登りに対して独自の思考があり、それを純粋に追い求めて行きたいのに、会の役員なんかやらされて無駄骨を折っているんだ」という意識を通り過ぎて、会の運営には当然その役割をやるんだと思うようになってくることではなかろうか。
 仮にある人が山岳会に入り、会員とある程度山行をし、また会員から山の話を聞くという間接経験を経て、彼のこれからの山登りに対しもうこれ以上山岳会に属していることが有効でないよう思われるので、見切りをつけて会を辞めるようなケースの場合(実際辞めていく元会員はこんな簡単ないきさつで退会を決意する訳じゃなく。またこのような理由で辞めていく人は立派で、普通は山に行けなくなった事情があったり、何となく行きそびれて会に足を運ぶのが面倒になったりして来なくなる人が多いと思われるのだが、ここで述べたいことは彼の目指す山登りのためには会が力不足であるという段階まで来てしまった時に、自分の実力が発揮または伸ばしてもらえそうな次なる手段のために山岳会を辞めていくような場合である)、会の方から見れば会がもう一歩前進するためにも彼のような優秀な人にこれから一肌も二肌も脱いでもらいたいと期待していたのに会を去られれば「あいつは会を登山学校と間違えているのではないか」というような批判も出てくるかも知れない。が一方、「彼は自分の力で彼の山登りの段階までやってきたんだから、機会があって会を飛び出していったことは少しも咎めらることじゃない、彼だって在会中は色々の面からみれば会に貢献したのだし、彼の目的を満足させられないような山岳会の方に欠陥がある、俺だってある程度までこの会でやったら飛び出していくだろう」と割り切る人もいるのかも知れない。
 「山岳化を愛するというような考え方をする世代ではないのだ」ということだろうか。


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