トップページ > 岩つばめ一覧 > 岩つばめ231号目次

52年度 正月合宿報告
桜井 且久

 合宿を終えた、私の心に何故か徒労感と空しさだけが残存している。夏山合宿終了後、必死で場所とメンバーを考察し続けた。前年のメンバーの大半は諸々の理由により今回の参加は不可能となった。私個人としては8年連続して正月を山で迎えようとするのであるから、若干でも納得のいく山を愉しみたかった訳である。しかし、残念ながら数十名存在する会員諸氏に自己の志向する「登山」を強制することはどだい無理があったようである。「登山」をどう解釈し行動するかは会員諸氏のまさしく「自由裁量行為」の訳であり、強制力は一切ないのである。無責任さと自由さは三峰の歴史そのものであるかも知れない。たかが山を共通の基盤とする「道楽者集団」の中で、私のような若輩の身が生意気な言動を弄することが出来るのも、三峰の度量の広さのなせる業なのであろう。こんな原稿を書いている暇があったら、経済新聞や専門誌を再読しているべきなのであろう。今年は自分の仕事にとって是非とも一区切りつけなければならない責任が課せられているのである。2月、3月は学生服に追われ、6月には渡仏して生のファッション業界を視察し、諸々と勉強しなければならないことが多いのである。呑気に「合宿」のことなど考えていてよいはずがないのである。おまけに、30才近くになろうとするのに山のことばかり考えないで、嫁さん探しでもしなさいと周りの連中に説教される始末。一人、二人と私と山行を共にした≪仲間≫達は三峰から足が遠のき、すっかり明るく現代的になっている新人達とは山行を増々共にできない現実。もはや私とって「三峰」は利用価値がないだけでなく、「三峰」の方で私の存在意味がないと宣言されているかのようで、一抹の寂しさを感じ、感傷的にならざるを得ない。しかし、単独行に疑問と限界を感じて「集団」に加入しながら、こんどはその組織と個人の厚い壁を感じた今、私の心には妙にアライン・ゲーエンの魅力が再生しつつあるのである。共に一つの目標に向かって山行を継続しようとする志向性ならびに時間、体力を共有し得ない以上、一つの集団に属する存在理由がないのである。気ままに一人でも仕事の暇を見つけて気分転換としての「思索登山」を続けてみたいのである。ただ仕事、山の両面においてもあくまで<苦しみ>から逃避するのではなく、歯を食いしばり真剣に取り組み、(この部分判読不能のため欠落)
第二合宿の野田リーダーや別所、川田両先輩の諸氏には全く頭の下がる思いであり、新人の諸君に是非ともその山に対する熱意を共有し継承していただきたいと哀願せざるを得ない。また第一合宿のメンバーにとって2日目の薄暗い中での不安定な雪壁トラバース、3日目の強烈な風雪下の登高、そして塩見岳を断念した雪洞ビバークetcと、どれをとっても貴重な<体験>であった違いない。冬山は文部省が奨励するような合理的なルートばかりを守っていたのでは決して登ることは出来ないのである。大自然との闘いがあるからこそ思い出も楽しい筈であろう。そのくらいの克服ができない以上、都会でコタツに入ってマージャンでもするか、せいぜい女の子とスキーでも行っていた方が無難であろう。私としては今年度冬山合宿に参加した各自が自己の登山観を確立する機会として捉え、冬山登山を実践されることを願うのみである。
(第一合宿) 白根三山縦走
桜井、稲田、鈴木(一)、鈴木(隆)、中村、久山
(第二合宿) 北岳アタック
野田、別所、山本、川田、下司、岡田、伊藤、馬場、小林


トップページ > 岩つばめ一覧 > 岩つばめ231号目次