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白い一日が終る時
久山 学

山行日 1976年12月30日~1977年1月3日
メンバー (L)桜井、稲田、久山、中村、鈴木(一)、鈴木(隆)

 昭和51年12月30日、池山吊尾根のテントの中で、今日は疲れた。吊尾根の登りは辛いとは知っていたが、こんな苦しいとは思わなかった。やはり重荷を背負っての登りはかなりキビシイ、それにしても何も感激が起きない。去年の冬山合宿の時は1日の行動が終わりテントを張り終わると何か心にくるものがあった。今年はこれから先のことばかり心配でしかたがない。やはり冬山縦走は辛い。
 12月31日、北岳稜線のテントの中で、今日は北岳へ登った。日本で二番目に高い山だ。やはり嬉しかった。ラジオでレコード大賞の歌を聞きながら、下界では今頃さぞ賑やかなことだろうと思うと、何となく下山したくなる。俺もやはり並の人間だ。コタツにでも入ってミカンを食べながらテレビが見たい。「山男だ」などと粋がった自分が惨めで腹立たしい。でも静かだ。限りなく静かな大晦日だ!
 昭和52年1月1日、中白根山頂の雪洞中で、周りは雪。ローソクの光だけがキラキラ光る、自分の前にも横にも同じ顔ばかりが並んでいる、皆んな何てクサイ顔ばかりなんだろう。もう見るのも嫌だ、たまらなく心に思っている女性に会いたい。これが元旦に考えることか、来なければ良かった。
 1月2日、大門沢下降点のテントの中で、明日は下界だ!ビールが飲める。女が見られる。なんて素晴らしい世界だ。下界という所は、早く下りたい一心で今日は白根三山を縦走した。別にこれといった事もなく、皆んなで歌を歌った、山の歌、フォーク、歌謡曲なんでも歌った。楽しかった。疲れも忘れ心配事も忘れ、希望も忘れた、テントの外から見てると真白い世界に小さなテント。暗い中に赤々とローソクの灯り、流れる歌声は小さくとも、拡がる友情は限りなくこだまする。考えてみると非常にシビアな時間だった、しかし、何かとやり遂げた時のホノボノとした安心感と、それに素直に表れる仲間の顔がある。俺の青春に1ページはこの日の終りにシグマすような気がする。
 「雪よ岩よ我らが宿り、俺たちゃ街には住めないからに....」歌声は限りなく続く、外は静かだ。限りなく静かな夜だ。

合宿を終えて
稲田 竹志

 合宿を終え、約1ヶ月。右手指先の凍傷に麻痺も大分元に戻り一安心した。この合宿で残された問題点を少し考えてみよう。
 先ず「日程」についてだが、我々の計画に日程的無理があったかどうかということだが、答えは無理があったと言わざるを得ないだろう。たった一日のビバークのため縦走計画は簡単に潰れ、エスケープをとる結果だったが、あの元日の悪天候の中を行動できる体力と自身があり、行動していたならば元日は三峰岳まで行けたかも知れない、そして1月3日には塩見を越えられたかも知れない。だが、僕がここで今言いたいことは、この行程計画ではなく、日本の登山者の置かれている立場というか登山日程、つまり休暇のことだが全員が揃って安心して仕事を休み入山できる状態ではない。計画書では12月29日夜後発で5泊6日の山行予定で、1月5日が予備日となっていたが、その通りに1月5日まで休暇をとって入山できたのは6人中、3人だけだった。この事実だけでもこの合宿は完走できたにしろ、計画自体に相当無理が生じる訳だ。この日程の問題がいつも一番気にかかるシャクのタネなのだ。もっと余裕を持って全員が冬山へ参加できるのは今の日本ではまだまだ望めないことだ。全コースを偵察し、その他に予備日を充分に取るとなると北アルプスが八ヶ岳に、南アルプスが丹沢になりかねないのが、社会人登山者の実情ではないか。
 「凍傷について」
 6名中、4名までが僅か1時間の内に簡単にかかってしまったその症状は、
桜井=両手の指先の感覚がなくなり、先端があかぎれ状になり痺れる。
稲田=両手指先感覚なし、特に右の中指の先端が翌日紫色に変色した。
中村=トップだったので顔面凍傷がひどく赤紫の顔となり、両手指感覚なし。
久山=顔面のみ三ヶ所やられる。
鈴木(一利、隆)=両名異常なし。
 前日は池山小屋を出てから北岳まで重荷でバテ、設営可能な稜線小屋手前に着いたのが5時30分でバテバテ。そのため翌日は出発が遅く10時過ぎ、強烈な風に10分も進まぬ内に参ってしまった。桜井リーダーの「足の指は動かせよオーッ」の声に必死に指を動かすが手と顔はガチガチで風雪で体はよろけ、中白根のピークでビバークを決め、雪洞を掘り始めた。
 凍傷を防ぐ方法なんて、あの天気ではなさそうで誰でもが簡単にかかってしまう状態であった。ビバークしたから程度が軽く済んだけど、もう少し悪ければ自分の中指は切断だったかも知れない。下山後1週間経ち、指の色が赤みを帯びてきた時は本当に嬉しかった。

充実感、そして虚脱感
中村 弘志

 池山吊尾根から八本歯、北岳、間ノ岳、そして農鳥岳。この4日間歩いてきた道を忠実に目で辿った。何とも言えない充実感と虚脱感、長いようで短かった冬山合宿。
 出発の前日、一つの天幕に内張りのないことが分かり慌てて方々へ電話をするが見つからず、結局内張りなしで過ごすことになってしまった。ああ!装備係として何という失態、心配の種がまた一つ増えてしまった。
 合宿1日目は急登に喘いだだけでさしたる苦労もなく過ぎていった。豚汁風肉鍋の夕食を食べた後、第二合宿のカマ天へいき、酒を飲み早々にシュラフに潜り込むが、明日からのことを考えると目が冴えてなかなか眠れない。それでもいつしか夢の中へ。
 今日はいよいよ八本歯の通過と北岳への登頂だ、調子は悪くない、暑すぎるぐらいの天気が森林限界を過ぎる辺りより下り気味になってきた。北岳もその雄姿を我々の前に見せてはくれない。これから先に不安が湧いてくる。第二合宿の方は何処まで行っただろう。もう、北岳に着いただろうか?
 八本歯のコルへ下る手前でザイルを出しゼルバンを付ける。いやが上にも緊張感が高まってくる。意外と手こずる、時間がかかってしまったがどうやら全員無事にコルに降り立った。ここで第二合宿の人達と出会う。一人一人に握手でもしたい気持ちだったが場所が悪く、軽く挨拶をしただけで通り過ぎる。後は北岳への登りだけだ。辺りは完全にガスに包まれ何も見えない。稜線小屋への分岐に荷を置き、空身で山頂へ行き記念撮影をして早々に下る。稜線小屋への巻き道は途中から所々トレースがなくなり、更に薄暗くなってしまい、2回ほど足を滑らせピッケルにしがみつき、冷や冷やしながらやっとの思いで稜線に飛び出したが、結局稜線小屋へは着けず、ヘッドランプの灯りを頼りに天幕を設営した。これもいい経験だ!
 明けて、1977年1月1日(また山で正月を迎えてしまった。これで何回目だろう)生憎の天気だ、風が強く必死で歩くがザックが風にあおられてしまいどうしようもない。中白根で行動打ち切りの決定をリーダーより受け内心ホッとする。
 早速雪洞を掘り始めるが帯ノコのおかげで思ったより早く掘り上がる。雪洞の内と外では、天国と地獄ぐらいの差があるようだ。快適快適。明日の天気を気にしながら深い眠りに落ちていった。
 快眠、快食、快便さらに快晴。富士山が真正面に見える。やっぱり、日本一の山だなとつくづく思う。今日はのんびりと農鳥岳までだ。間ノ岳の山頂で360度の大展望を心ゆくまで楽しむ、塩見岳がそのピラミダルな姿で「ここまで来てみろ」とでも言っているようだ。こちらも負けずに「今度は登れなかったが、いつかきっと登ってみせるぞ」と心の中で叫び返す。後はもう農鳥岳だけで今回の合宿も終わりだ。
 農鳥岳の山頂で最後の展望を心の奥に刻み込む。去りがたいがいつまでもここにいる訳にはいかない。後ろ髪を引かれる思いで農鳥岳を後に最後の幕場である大門沢への分岐へ向かう。
 天幕の中で騒ぎながら、ふっといつか山へ登るのを止めようなどと考えたことのあったのが、何だかバカバカしく思えてきた。やっぱり止めなくてよかった....。
 富士山を正面に見ながら大門沢を快適にと言うより、気狂いじみてシリセードで一気に下る。何本かの吊橋を恐々渡り舗装道路を歩き、奈良田温泉に着く。今夜はここで一泊だ。ぬるめの湯に浸かり、久し振りにまともな物を食べ、布団の中で体をいっぱいに伸ばし、3か月かけて準備してきたものが、これで本当に終わってしまったのだななどと思っているうちに、いつの間にか深い深い眠りに....。

空白の日々の中から
鈴木 一利

 冬山合宿は当初の計画通り塩見岳へは吹雪のための停滞で行けず、休暇の問題があり白根三山になりましたが1月3日に無事全員が下山し終わりました。
 私にとっては、昨年10月31日から11月2日までの北岳偵察に始まり、約2ヶ月かけた山行であったと同時に初めての冬山でもありました。
 自分の体力や技術、知識その他の面で色々な不安と白銀の稜線への憧れとが頭と心の中で激しく入り乱れていた2ヶ月。今、合宿が終わって何か山から得たものがあるかというと、山へ惹かれる思い出が何も湧いてこない日々です。何か自分の感情が吹雪かれ停滞した雪洞の中か、南アルプスの雪女に全て取られたが如く、合宿の日々の思い出は今、静かな空白の日々として残っています。
 冬山で過ごした日々の感激を現在探し求めて彷徨う自分を何と表現してよいのか分かりませんん。また、合宿のことを書きたくても今まで自分が登ってきた夏山、残雪期の山の楽しさを超えた、素晴らしいなどと感情として湧く以上のものが冬山合宿でありました。是非、会員の皆様も機会があればどしどし参加して新しい山行との対話をしてください。
 技術的というか、雪洞のことですが、今回初めて全員の仲間が暮らせる雪洞を作り一日生活をしましたが、外がいかに吹雪こうと快適な生活でした(テント以上に)。また、雪洞を作る時は人数に応じてグループに分けて交替でやったら能率が上がり、体力の消耗も少なく速くできました。道具はスノースコップより糸鋸のおばけみたいに大きなものがとても使いやすく雪洞作りに最適です。できれば冬山に今後、積極的に取り入れるとよいと思います。
 最後に、2日間一緒に登った第二合宿の皆さん、協力ありがとうございました。私のような初心者が冬山合宿を無事に終了した今、会の遭難対策担当の諸先輩、アドバイスをいただいた諸先輩、一緒に登った素晴らしい仲間に感謝の気持ちでいっぱいです。

〈コースタイム〉
12月30日 出発(6:10) → 深沢下降点(9:05) → 吊尾根登山口(11:05) → 池山小屋(14:50)
12月31日 出発(6:40) → ボーコン沢の頭(10:40) → 八本歯のコル(13:30) → 北岳分岐(14:30) → 北岳山頂(15:20) → 北岳稜線(18:30)
1月1日 出発(10:00) → 中白根(停滞)(11:20)
1月2日 出発(9:40) → 間ノ岳(10:45) → 農鳥小屋(12:05) → 西農鳥岳(13:30) → 農鳥岳(14:40) → 大門沢下降点(15:40)
1月3日 出発(9:40) → 大門沢小屋(12:10) → 広河内取入口(13:50) → 第一発電所(15:10)

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