トップページ > 岩つばめ一覧 > 岩つばめ231号目次

北岳雑感
野田 昇秀

山行日 1976年12月30日~1977年1月1日
メンバー (CL)野田、(SL)別所、(SL)山本、(SL)川田、下司、岡田、伊藤、馬場、小林

 何年かの間、冬山合宿に参加しても計画に参加したことはなかった。個人装備を持っても共同装備を持ったことはなかった。何となく後に付いていき、私の都合から先に帰ってしまった。冬山に登りたい自分の気持ちを満足させても全体の行動の足を引っ張る、そんな後ろめたい気持ちが心の中に残っていた。冬山合宿が第一、第二と分かれた昨年の西穂高は何かホッとした気持ちがあったが、後を付いていくことには変わりなかった。
 今年の第二合宿を担当する人がいないと聞いてから、私が担当するまでには随分と時間がかかったがここで一度担当しておけば、有効期間が2年くらいはあるだろうと思ったからだ。まだ皆の後をもそもそと歩いていきたい気持ちが残っていたからだ。
 候補の鳳凰三山はただいまのところ2名とか、誰か行く人はいませんか、とルームにて皆に呼びかけるが反応なし、中止を考える状態の時もあった。別所さんのアドバイスにより第一合宿に同行する北岳へ変更したのは12月に入ってからでした。既に冬期トレース済みの別所、山本さんには悪いと思ったが、雪のバットレスを見たい、個人的な理由もあり変更する。12月第二ルームで参加者の決定と役割の配分とを1時間ほどの打ち合わせで済ませ計画の全てが終わった。18年組の猛者が3名参加してくれた安心感と計画バッチリの第一合宿への同行が計画をラフにさせたのかも知れない。
 何はともあれ、第二合宿成立に力添えいただいた稲田委員長、桜井第一合宿チーフリーダーに深く感謝の意を表したい。
 さて、今度の合宿ほど登頂に執念を持った山行は初めてであった。準備、計画の不足も登ってしまえばそれまで、意地でも登りたかった。初めて山行を共にする人もいたので深沢下降点よりアイゼンを履いてもらう、大丈夫心配な人は誰もいなかった。登頂のオーダーを考えながら池山吊尾根を登る。状況判断バツグンの川田さんをトップに岡田さん、下司さん、ベテランの別所さんにザイルを持ってもらい川田さんと連絡を取りながら行く、伊藤さん、馬場さんと続き、山本さんにはトランシーバーと前二人のアドバイスを、小林さん、私と決めると私の役割は残された引き返すことを考えるだけで済みそうだ。天候はやや緩んだ冬型、まずまずの予想である。
 晴天、後の鳳凰を振り返りながら登る。50分1ピッチが守れたのは最初の1ピッチだけ、歩きながら何となくだれた感じもあった。
 砂払岳より見たバットレス!!私はこれが見たかったのだ。八本歯通過の頃から天気が悪化、ここからは引き返すことだけを考えていた。吹雪かれたらあの岩が目標といつも後ろを見ながら歩いていた。長いトラバースがあってロープが張ってあってと頭の中に入れて歩いたつもりであったが、帰りには忘れていた。頂上を踏んだ喜びが全てを忘れさせたのだろうか。八本歯で第一組と会う、ガンバレよ。感激の一時でした。
 下りはのんびりと歩いた。テントに帰ったら話そう。全員の協力で登れたことを、これからも力を合わせて山登りをしよう。今一緒に登った人達の中から多勢の人が来年は第一合宿に入るようにと、末永く山登りを楽しもうと、考えながら歩いた。結局話さなかった。
 あのバットレスの美しさが私に代わって話をしてくれるだろう。来た甲斐あったと。

北岳アタック
岡田 敏子

 北岳、私が登山を始めてから、いつかはと心に刻んでいた遠い憧れの山でした。そして幸運にも冬山第二合宿に参加でき、登頂できた喜びを今しみじみと噛みしめ、この感激が誰からもさらわれず色あせることなく胸の中にそっとしまっておきたい。そんな素晴らしい山でした。そして思い出すのは足元を見つめ見つめて首をうなだれたまま真っ白い一筋の道を喘ぎながら、只ひたすらに頂へと....長い長い道のりでした。
 12月30日(晴れ)
 甲府駅5時出発、マイクロバスで夜叉神峠へ。マイクロを降りると外は雪でさすがに寒い、トンネル内で朝食を摂り出発。路面が氷結しており、先輩はバランスよくすいすい歩いて行くのに、滑りそうでふらつきながら夢中で付いていく。深沢下降点までの道は全て歩き難い。下降点より野呂川橋までは急な下りで第二合宿組はアイゼンを付けて下る。あるき橋たもとより第一、第二合宿組の順で登山開始。ゆっくりした歩調で非常に楽であった。視界は利かず樹林帯の電光型の登りでB.Cに着くまでが長く感じた。池山小屋のすぐ近くで別所さんが新人に地ならし、張り方など教えながらテントを張った。夜、皆食欲旺盛。食後第一合宿の人達がテントに来て、たちまち賑やかな三峰バーに早変わり。銀河の流れる池山の星空の下、白銀の世界での合宿を初めて経験した。夢にまでみた北岳で天下の南アルプスの絶景を眺めたい....明日の晴天を祈る。
 12月31日(晴れ後曇り、ガス)
 7時30分出発、第一合宿組は先に出発したが途中で追いつく。樹林帯の中ほどで鳳凰三山が目前に、富士山が快晴の中に陽を浴びて素晴らしい。強い日差しに雪の反射で目が痛い。稜線の尾根に出る。急に視界が広がり、待望の北岳が空いっぱいに広がっている。展望最高。横殴りの風が吹き付け寒い。この頃から少しずつ頂上にガスが吹き上がってきた。難所の八本歯のコルには前に2パーティがおり大分待たされた。バットレスの取付きにパーティが見える。ここから見る雪と岩の横縞模様の第四尾根は素晴らしい。梯子を登りいよいよ傾斜のきつい登りとなる。山と雲と雪の中を突き進み最後の登りは凄かった。一歩一歩の疲労にトップの川田さんに「頂上はまだ」「もうすぐだよ」「まだ」「もう少しだよ」と何回となく聞いてしまう。「ここで皆を待とう」と思ったりした。でも私にとって今を逃せばもう再び訪れることのない冬の北岳であり、そのためにここまでやって来たのだから....と言い聞かせてやっとのことで辿り着いた。頂は思いもよらないほどの横殴りの雪と風で寒さに震えてしまう。今ここに立つことのできた嬉しさに、心が高ぶって言葉が震えてしまった。皆で握手、最高の時である。ガスで360度の展望はなかったけれども山に来てこれほど素晴らしい満足感を味わったことはなかった。記念撮影をし食料をお腹へ、一路急勾配の雪面を尊重に下る。ここでまた別所さんからトラバースの仕方を教えていただく。ボーコン沢近くに遭難碑が建てられており、痛ましく山旅の厳しさが胸に迫ってきた。2時過ぎ危険な八本歯を終えた第一合宿の人達に会った。言葉を交わし握手して別れたが、重荷を背負ってこれから塩見岳へ向かう人達に何とも言えない旨迫るものを感じた。皆は何を思ったのだろうか?と心でつぶやいた。4時20分、B.Cに着く。今日は大晦日、紅白歌合戦を聞きながら眠りに就く。
 1月1日(晴れ)
 8時30分出発。下りに下って1時間余りであるき沢橋に着く。マイクロバスに乗り一路甲府へ。町は正月、晴れ着が目立って我が身の姿が恥ずかしく小さくなって帰る。白銀の世界は素晴らしく、純白の山並みや雪原に魅せられ、また新たな魅力を感じた。お天気に恵まれ素晴らしい楽しい山行の一言に尽きます。細かい心遣いをしてくださったリーダーの野田さん、みんな重荷を背負ってくださり、辛い食事当番をしていただき、お世話になりっぱなしでほんとに有難うございました。

北岳
馬場 義孝

 かねて馴染みの足許から滲んでくるような後悔だ、僕は有能で忠実な処理者であったのだけれど、どういう訳かある日あえなくたったの一撃で沈められてしまった。手垢にまみれじっとりと湿り切った生活要素は如何ともし難く、何日もベットの中でゴロゴロして山のことばかり考えていた。初めて屋久島へ登った時に見た空の青さが妙に目先をチラつき、と同時に未だ行ったことのない冬山への想像は次々と広がり地図を出しては計画を立て、また別の地図を出しては計画を立てる。そんなことを繰り返しているうちに想像は衝動になり、衝動は明確なる意志と化し、ゴロゴロと寝てばかりいた1週間が何とも恨めしく思われ、或る日の午後「何かに酔っていなければならぬ」という言葉の典型的実践者と化しベットを降り靴を履いた。
 夜叉神峠に着いた時は未だ真っ暗であったが2、3のパーティがもうそこで夜明けを待っていた。普段は知らない人がいる所では何となく気分が盛り上がらない性分だけど、例外という文字をすぐに当てはめたくなるくらい、やたらと興奮しているみたいで自分でもおかしくて思わず笑う。しかし、顔はあくまでも平静を装うとする。でも平静でいられたのはそこまでであった。トンネルを抜けた時に見た光景は何とも言えず、心に迫り何だかとても楽しくなる、一体にこの楽しくなるというのが曲者で自分では何とかできないものかといつも思っている。だって、その後には大抵大きなチョンボをやらかすのだから、そこら辺の雪を蹴ったり踏んだり何とか体を動かしてやっと静めたが、その日はあの光景が目に焼き付けられ早くあそこへ行きたいと思うばかりで、あまり快調とは言えなかった体調も息切れすることも汗をかくこともなく、ウロウロしているうちに着いてしまった。この日、身に沁みたのは幕場に着いてからの寒さだった。あれにはちょいと本物を感じましたね。つま先には感覚がないし、指先は痛いばかりで、別所さんの「テントを張ったりするのは手早くやらないと凍傷にやられることがある」という言葉は尤もだと想われた。とにかくこの時の寒さは3日間で最高のものでとっても良かった?
 早く目が覚めて仕方のなかった2日目の朝は食当であることに感謝して明けた。夏山では木のある所が好きなのだけれど、この時ばかりは森林限界を出た時が素晴らしかった。何か遥かなる悪友に向かって何だか目が澄んできたみたいぜ、それに10年くらい前のあの無邪気な光が目に再び宿ったみたいナノダー....とうそぶいてみたい心境だった。
 森林限界を超えると表面的には単調だけれど、僕の心の中では初めて見る物への驚きと感激が、雪は雪であり、白が白であるという単純なことを単なる知識から強烈なる経験へと組み入れるのを妨害しているみたいで、その完璧なまでの雪の白さを現実のものとして感じるのに少々時間が必要だった。
 八本歯のコルではやはり少々緊張したけれど何とか無事に通過できた。勿論先輩諸氏の適切なアドバイスを受けたのは言うまでもないことである。
 分岐から頂上までは腹が減って目が回りそうで、歯を食いしばろうにも力が入らないくらいで、しかし頂上に着いてからのパンと紅茶がとっても旨かった。でもここで一番良かったのは皆の表情であったのです。実は何というか素直に感情が出ているみたいで、今まで僕がやった山行であんなに嬉しい表情をしたことがあるだろうかと思うと、何とも情けない気持ちがした。長く急な登りを喘ぎ苦しみ、汗を滴らせ、一瞬の微風にも全てを忘れたりしたことはあるけれども、単独の時は頂上でニヤリとするだけ。パーティで行った時には、さあ次はどこにしようかと話し合うばかりで、ああいう感じになることは思いつけなかった。
 毎度のことながら同じ所を下るというのはとっても退屈なのだけれど、考えたよりも早く着いたので精神的な苦痛が伴わなかったためか、快適ですらあったようだ。
 今から僕は酒や煙草の、あのいがらっぽい煙や酒場の淀んだ空気、曖昧で生ぬるい妥協の内へと次第に意識せぬ間に腐っていくことだろうが、この山行で見た光景はいつまでも灰色をした空の中でも、ちょっとした拍子で不意に僕を襲い、その度に新しい感覚へと更新してくれる点景となることだろう。

〈コースタイム〉
12月30日 出発(6:10) → 深沢下降点(9:05) → 吊尾根登山口(11:05) → 池山小屋(14:50)
12月31日 出発(7:00) → 砂払岳(9:50) → 八本歯のコル通過(11:50) → 北岳(13:00) → 砂払岳(15:00) → 池山小屋(18:30)
1月1日 出発(8:25) → あるき沢橋根(9:35)マイクロバスで甲府へ

トップページ > 岩つばめ一覧 > 岩つばめ231号目次