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その2 結婚して 山女
稲田 由美子

 また編集が変な特集を組んだ。「女性にとって結婚後の山とはどんなものか」ときた。頭を抱えて2ヶ月あまり、未だに何一つ練れてないままこうしてペンを持たざるを得なくなってしまった。そして少しでも注文の枚数に近づけるべく字数を稼ごうと、こうして言い訳を書き重ねている。兎にも角にもペンを動かさなければ。顔を真赤にして天井を見つめ、首を傾げてみても私の場合、特に「結婚」というものを堺にして大きく変化したようなことはなさそうである。ただ何となく感じとして思うのは「山と女」が「女と山」に変わったような気がするくらいだろうか。確かに山に足を踏み入れた頃は、漠然といわゆる「山女」に憧れた。が、それに今にして思えば。自分の性分からしても到底山女になりきることは出来なかったろうし、それはとてつもなく困難なことだったに違いない。それでも無知なあの頃は、何よりも山を先行して考えたがるところがあった。けれども結婚を境にして、やはり「女と山」という見方に変更しなければならない状態になって来た訳である。そしてそれは結果的には私自身にとって、やはり一番あった形かも知れないと思う昨今である。というのも「山」と「女」をそれぞれ別に考えた場合、先ず山に関して言えることは「甘えたら拒絶される」ということだろう。勿論それが魅力の一片でもあるだろう、が私にとってそれは結果的には貫き通せないものになった。あらゆる面で力が足りなかったろうと思う。が、その「甘えたら拒絶される」ことが魅力の一片にあることを少しは体で知ったからこそ、結局はどういう形にせよ今も山と何となく離れずにいられるのではないかと思えば、何故か嬉しいのである。そして何故かこの頃から「女と山」に変わりつつ、また拒絶される山のイメージは私の中から消えたような気がする。そして自分勝手に納得しているのである。それに比べて女の方はと言えば、少々怠けても日常茶飯事の中には結構雲隠れできるのである。だから私にも何とかやっていける訳である。会社員と女房と、とにかくこの二つは何とか続いている。しかし、この女房とて相手が山のような厳しさを持っていたなら私などとっくの昔にヘタヘタと地べたに座り込んでいたし、自分ではうまく雲隠れしたつもりでも頭隠して尻隠さずのはずだから、いたるところで見て見ぬふりをしていてくれるのだろうと下を出しつつ手も合わせている訳である。故に、怠け者の私にも何とか、何とかやっていけるのが女の方だった、だけである。だから結婚したから山に行けなくなるというのは私の場合はない。あくまでも自分自身の考え方として山のイメージが多少「女と山」の間にずれてきただけのことである。
 花屋で買った、むらさき式部の実は谷川や上州や中央線沿いの色々な山々を思い出させてくれる、壁には北岳の写真があり、本棚には地図が重なり、手帳にはルームと記され、結局のところ雲隠れ女房のごまかしの次には今のところ、山しかあてはまらなくなっているようである。そして、今度丹沢近くに越したことは、大ゲンカの際にはサッと逃げ込む懐の出来たような気がしているのである。夫婦共に何かの形で山に接しているからか、やまに関わる諍いは思い当たらない。
 ただ、冬山合宿のような長く家を開けられてしまう時になるとブーブー言って不平女房に戻るのである。これも何とか直さなければと思うのだが、自分が行けないとなると素直に出してやることも至難の業である。それでも山の話を聞いてドキリとし、天気予報を見てニカッとし、翌朝共に腰が落ち着かず....そんな気持ちをお互いに分かち合える状態を幸せに思う。


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