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その4 一児の母となり 山は
播磨 順子

 山に登りたいと思い立った頃は既に年齢が高かったので、がむしゃらに毎週山に出かけていった。登りたい山は数え切れない程あって、時間が足りなく焦って山に向かったものでした。
 結婚し子供ができると益々山と離れ山に対する熱も少しずつ下がってきました。が、テレビなど山の番組があると胸をときめかせて見入ったりもしました。子供の世話も手がかからなくなった昭和50年の夏、念願の飯豊に行く計画となり今まで頭に描いていた飯豊に行く嬉しさでいっぱい。しかし、現実は3年のブランクの上、体力も落ち、稜線に着いた頃はもうフラフラ....やっとの思いでキャンプサイトに着いた時の惨めさ....もう大きな山行は無理だなあーー登りはフラフラ、下りはガクガク、とても見せられない様子でした。挙句の果て帰ってきてなかなか山の疲れが取れず心配で医者に診てもらったら何と心臓に少し障害があるとのこと。過激な運動は避けるべし、と宣告を受けました。
 それ以来、大きい山はもう諦めなくてはなりませんでした。ただ写真を見て、この山の頂に立ったらなあーーと経過も考えず憧れている山の多いこと。憧れている山を書いてくださいと編集さんから頼まれたのですがとても多くて書ききれません。ただ、今でも忘れられないのは憧れの山に登って頂きに着いたあの嬉しさと虚しさ....結婚して山に対する考えは昔と変わらないけど、今は体力も落ち運動不足で登山のできる体力は持ち合わせていないという現実に挟まれているだけ。
 憧れの山はまだまだあるし、せいぜい主人が山に登って、そのおみやげ話を聞くことで満足している私です。


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