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その5 一児の母となり 私の山登り
別所 由季子

▼山登りのきっかけらしき事柄
 女学校時代、徒歩訓練の授業があったとかで歩くことに関しては自信があると言って、母は幼い私達姉妹をあちこちよく連れ歩いたものでした。いつの頃からか自分も足には自信があると錯覚するようになった私はディスカバー・ジャパンもどきに北海道から東北、北陸、木曽等歩き廻ったものです。一人旅の気儘さとあの緊張感は私を魅了して止まなかったのです。
 その時代に登った八甲田の大岳。前日に右足の親指の生爪を剥がしたのを靴が履けぬからと包帯の代わりに絆創膏を貼って出掛けたのです。旅の途中で誘われてちょっと登ってみようかなというには余りの気迫だったと思うのですが、山頂近くで出会ったお婆さんには負けそうでした。御主人が亡くなって登山を始めたとかで、既に70くらいのお年でしたが昨年はアルプスを縦走してラジオ放送にも出たとか。素人とは言え若い私に負けず運ぶ足の確かなこと。ただただ感心するばかりでした。アルプスと言われても南も北も、またどんな山があるのかも知らず、自分とは縁のない別世界なのだと思ってその時は終わったのです。
 しかし、思わぬ身近に山気狂いがいて、私に山の魅力を話してくれました。彼は高校の同級生だったのですが、一度谷川の山小屋の中で死にそうになった男で、その夏は雲ノ平へ行くのだと言い、そこは何処から入っても2日はかかる山の中で、スイス庭園だとか日本庭園だとか呼ばれる地があるのだーーそのスイス庭園という言葉に憧れましたねーー、彼の話に初めてその別世界が何と素晴らしく魅力あるところなのかと思うと同時に、自分には決して行くことの出来ない地なのだと諦めたのです。
 それはしかし、1年後に思いがけなくも実現。はなから出来ないと決め込んでいた登山なのですから、まるで騙されたという感じだったのです。会社の絵を描く仲間に登山する人がいまして、「山、好きかい?」「好き、好き」(この時、頭に描いていたのは高原に毛が生えたくらいの山)「では連れて行ってあげようか」ーーで、鳳凰三山へ連れて行かれました。5月の連休も過ぎ、残雪と花とで彩られた山に苦しいけれど山っていいなあと思い、調子に乗って2回目は蝶から燕までを縦走。3回目は一人で立山に入ったのです。今思うと恐れを知らぬということは一面、素晴らしいことではないかということです。
▼その後の私の山登りらしき事柄
 会社のワンゲル部に入ったのはその年の秋のことです。何やら揉め事の多い部で、常時活動していた10人前後の部員も一人減り、二人減り。そんな中で播磨さんちの順子さんは三峰にも入会してその活躍ぶりは派手でしたね。最後まで残った4人の部員ーー知る人ぞ知る小山さん、小杉さん、柴山さんと私。山が好きという気持ちに変わりはなく、細々としかし結構楽しく登り続けていました。ワンゲル時代の山行中、一番は春、3月の上州武尊山でしょうか。思えばどの山も私なりに一生懸命登った記憶があり、懐かしい山行ばかりです。
 さて、ワンゲルがいよいよ先細りの観を呈してきた頃、順子さんからしきりと三峰入会の誘いを受け、では一度様子をみにと足拍子岳の山行にお供して仰天しました。というのも我々ワンゲルの歩き方と言えば、片方の足の爪先に次の片足の踵を付けるという具合だったのです。それがまるで走ってでもいるような彼等の歩調ーーバテました。それっきり誘われても逃げの一手だったのですが、冬が近づいてきてスキーも教えてもらえるからと言われて入会したのです。入会しても皆んなについて山を歩けるとは思っていませんでしたよ、当初は....。
 それから後の私の山登りは皆様が知っての通りですので省略いたします。
▼現在の私の山登りらしき事柄
 今、六国峠の山行から帰ってきました。主人が7ヶ月になったばかりの息子を背負い、私は息子のオムツと着替えとミルクの入ったサブザックを背負っての山歩きもこれで4回目を数えました。5ヶ月と6日目で彼は父親の背に負われて神武寺から鷹取山を、6ヶ月と3日で三浦富士から武山を、6ヶ月と19日で大楠山を歩き回りました。
 彼の反応の仕方が段々はっきりと数を増してくるのを楽しみながら、私達、特に私は山登りを一歩からやり直すという気持ちで遥かに楽しんでいるのです。三浦半島の山は大体終わりましたから、今度は箱根か伊豆をそして丹沢を、それから奥多摩をそして....彼が物心つく頃にはアルプスをなどと思いは広がります。
 山登りに男も女もないと言えば嘘になるのでしょうか。私がまだ息子をお腹に入れておりました時、主人が一人で山に出掛けられますと、ふと考えたものです。損をしているという実感はしかしありませんでした。自分自身をそのような状況に置いて納得させるものが私にはあったからです。結婚前、首までどっぷり山に浸かったと思ったくらい登り続けた1年間がありました。冬山にも入りたいと思って夏山から意識して頑張ったものです。「やれる時にベストを尽くした」という充実した思いが常に私にはあるのです。
 こういう思いには男も女もありませんでしょう?その思いが現在の私をしてこう言わせるのです。
 冬山や岩登りやアルプスばかりが山じゃない。三浦半島の名も知られていないような山だって、歩いてみれば未だ原生林などが残った静かで心優しい姿をしているのです。それで充分だと思っています。


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