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谷川・阿能川岳
林田 雅子

山行日 1977年3月27日
メンバー (L)久山、播磨、山本、林田

 静まり返った水上の町中を重々しい靴の音を残しながら谷川温泉まで歩きました。温泉の外れにある東大寮に着いたのが午前5時少し前。この辺は雪崩があったようで大木が根こそぎにされ、大きな石がごろごろしていました。空がだんだん白み始め阿能川岳への尾根が見えてきたので腹ごしらえをして出発。雪がすっかり消えているので藪山歩きになってしまった。1時間もすると雪が降り止みそうもないので、下山してゆっくり温泉にでも浸かって帰ろうと言いながら遂に三角点(1073m)まで来てしまった。ここまで来ると積雪量は1~1.5mぐらいになりピッケルも軽く動かせるようになった。雪はなおも向きを変えて降り続き、木々をすっかり雪化粧してしまったが、春が近いのかそれほど寒くもなく銀世界を楽しみながら幾つものピークを越えていきました。頂上に着いたのが11時。久山さんから最初にピークを踏ませてあげるから先頭を歩いたらと言われましたが、足が思うように動かず登頂の感激はいっときしてからでした。不思議なことに薄日が差してきて今まで霧に包まれていた山々が少しずつ浮かび上がってきました。初めて見る谷川岳の南面。目を凝らして見ると俎嵓、幕岩、オジカ沢....は雪と岩肌の色がまだら模様になっていて鮮やかでした。
 こんなに素晴らしい景色に恵まれるならば、あれこれ余り考える必要はなかったようです。というのは1週間前から谷川岳へ行くのだからさぞかし雪が多いだろう、雪崩の危険もあるだろうと山行の決心がつかず、挙句の果てオーバーズボン、キルティング、目出帽、セーターや非常食の甘納豆をいっぱい詰め込み、純毛の肌着を着込んで◯◯ダルマのようになって参加したのでした。ところが、一つとして使ったものはなかったのです。山本さんは私と対照的でシャツ1枚、雪が降っても手拭、ジャンパーという出で立ちでまことに登山経験、道具に対する考え方の違いを教えられました。播磨さん曰く『道具勝ちの山本さん』『道具負けの林田さん』との評価でありました。下りは雪が柔らかくなってきたのでアイゼンを使わずスムーズに降りてきたのですが、一ヶ所つまづいてしまい、教わったばかりの滑落停止をしました。ところが、愚かにもピッケルと体が増々離れ、元の位置まで体を持っていくことができなくなりました。三人の先生方からは下が絶壁で助っ人がいないつもりでやりなさいと、厳しい指示を頂戴しましたが、浦島太郎の亀みたいに手足をバタバタさせて大騒ぎをしたので愛想を尽かされてしまいました。この些細なミスが原稿を書く原因になったようです。午後2時過ぎには谷川温泉へ辿り着きました。充実した山行でマナイタの上にのった魚のような心境でした。

〈コースタイム〉
水上 → 東大寮(5:30) → P1073m → 阿能川岳(10:50~11:35) → 谷川温泉(14:30)


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