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遭難かビバークか ~2月の塩見岳~
鈴木 一利

山行日 1977年2月11日~13日
メンバー (L)鈴木(一)、鈴木(隆)

 冬山合宿も終わり私達を冷たく跳ね返した塩見岳の頂に立ちたくて再度アタックする。
 しかし、私のラッセル中のアクシデントでピーク手前で断念せざるを得なかったが、同日我々の後を登ってきた男女二人のパーティの遭難問題が発生した。
 男女二人のパーティが三伏小屋に20:00になっても帰らなかった。14:30頃、山頂を踏み下山しているのを確認しただけで、ツェルトも持たず小型コンロ一基を持っているだけということであった。残っている荷物の中に羽毛服もあり、地元I山岳会リーダーから遭難ではないかという意見が出され、同時に自主的な救助体制への協力が要請された。それに対し我々を含む3パーティと南ア縦走隊のサポート隊として入っていたC大学山岳会有志の13名で体制が作られた。
 翌日、二人は塩見小屋に一泊して三伏小屋から当日出発した第一次隊、翌日出発した第二次隊とも会い、元気に三伏小屋へ帰ってきた。
 以上が簡単な経過ですが元気で降りてきた二人を見て、我々が早合点をしたのではないか、要らぬことをしたのではないかと考えさせられた。ビバークと考えるか遭難と考えるべきか、私自身考えさせられたので皆様のご意見をいつでも聞かせてください。
 以下、(1)遭難と判断したことについて、(2)その後の行動、(3)総括という順で述べてゆきます。
(1)塩見小屋でビバークと判断しなかったのは羽毛服が一人分残っている。冬山経験があまりない(ワカンなど装備が真新しく、当日の行動もアイゼンを持ち、ワカンはを置いて行った等)。パーティとしての行動がバラバラであり男性はかなり疲労していた。途中のアプローチを共にしたが登山届を出していない。
(2)先に述べた通り社会人4パーティ、学生1パーティの協力で体制が作られ自主的に素早く協力体制ができたのは、学生山岳会以外、当日ラッセルを共にし塩見岳を目指し、一日中同一行動をしたことにより精神的つながりがあった。そのため、救助に必要な装備および各パーティともに下山日のなけなしの食料が快く供出された。また当日直ぐに救助隊第一次隊が行動に移ったのは、最悪の事態(遭難、けが)に対処を遅らせたくなかったゆえである(トランシーバー1台持参)。
(3)我々自身多くの山でビバークを余儀なくされる場合もあるが、それを予測できる時は(今回のように積雪後でありルートも全くないとき)、ビバークができることを他のパーティに聞かれたらはっきり告げる。すなわち、自分たちの計画をはっきりさせるべきである。社会人はどのパーティも持っていなかったのですが、冬山に入山する場合は必ず持ってゆくべきである。
 最後に行動時間の点である、男女二人のパーティは16時頃になり行動を中止して、塩見小屋でビバークしたとのことである。二人は冬山入門者であろうと思われるが、そうであるがゆえに日没が17時30分頃であろうと、その前にビバークの準備をしていた。我々は往々にして行動を日没か、それ以後もしがちだが行動時間というものを考え直すべきである。ケースバイケースで処理しなければならないが、多くの面で冬山入門者としての謙虚さを山に慣れるに従い忘れがちであるが、我々の目前の山は日々異なる山であることを忘れずに山行を行ってゆきたいと考えさせられた。
 しかし、今回の件で救助体制確立の実習をやったようでもあり、その中で救助体制の確立はそれを担うパーティ各員のコミニュケーションおよび良いチームワークが鍵であることを学んだ。
 以上、今回経験したことをまとめてみましたが、山行計画をはっきりと立て楽しい山行を続けてゆきたいものです。


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