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白毛門山
佐藤 孝雄

山行日 1977年3月12日
メンバー (L)稲田、佐藤

 冬山は危険が多すぎるし、冬山の厳しさを色々聞いている私の気持ちを冬山へ傾かせたのは、ルームで見せていただいた冬山の写真であり、雪に覆われた冬山の美しさであった。
 今までに夏山しか知らない私は、いざ冬山に行こうと思っても装備が不足なので期日の数日前に装備の調達にいくが、ピッケルだけが自分の気に入ったのがなく、やっと4軒目にあって一安心、その日はもう体はくたくた。でもピッケルが手に入ったことで俺も冬山に行けるのだという満足感に浸っていた。帰って直ぐピッケルにアマニ油を塗る。シャフトの油が浸透のいいのには唖然。
 いよいよ冬山への入山の前夜、上野を出発。電車は高崎で乗り換え、この時運命の時が来たのです。狂い水の飲み過ぎで白河夜船、乗客に起こされて気が付いた時は辺りには稲田さんと私以外にはいなくベルが鳴り響きあわやと思ったが、でもそこはプロ?乗り換えは滑り込みセーフ。やれやれと思っているうちに寝込み、稲田さんに起こされた時は土合の駅、降りてびっくり階段の多いこと、おまけに風の寒いこともう眼はパッチリ、その日は土合駅でビバーク。
 当日は出発前から雪がちらつき嫌な予感、反面雪を見たことの少ない僕はいいなあと思いながら登り始める。少し登ると女性一人の登山者に出会う。この時私は危険の多い冬山に一人で入山するなんて気狂いか化け物化と思う。でも気にせず登り続ける。
 アイゼンの気持ち良い音に気を良くしていると、何とこれまた雪陰から慰霊碑が見えるではないか、心の臓がきゅんと引き締まる。足元を見ると雪庇のひび割れがトレースの近くまで来ているので樹木に沿って歩いていると急な斜面が2ヶ所くらいあったので、これを登ったら白毛門山と思っていたが見事に予想は外れ、吹雪は強くなり視界が2mくらいになり、しばらくするとピークらしき所に辿り着くが目印は見当たらず地図を見ても分からず、少し視界が良くなったので辺りを見廻す。かすかに前方に笠ヶ岳、朝日岳らしき山が見えるし、時間的にみても白毛門山と認め吹雪が強くなるばっかりなので、しばらくして下山することになり、下山するに従って登ってきた時さほど感じなかった斜面が急斜に感じ滑り落ちるのではないかと思い、稲田さんに聞いたところピッケルとアイゼンを確実に使っていけば大丈夫と言われて恐怖感は薄らぎ歩いてみて成程アイゼンは良く効くものだと感心しているうちに日が差し込んでくるではないか、この時「女心と秋の空」じゃなくて「女心と冬山の空」と思いました。女性の皆さんすみません、許して。
 段々雪質が変り、アイゼンがダンゴ状になり始めた時、時既に遅く滑り出す。ピッケルを2、3度やっと5mくらいした所で停止する。滑り出した時はもう終わりかと思った。一歩間違えれば死の恐怖に晒されるのでつくづく冬山の厳しさを感じさせられて下山の途中で滑落停止、シリセードを教わりながら下山、下山した時は生きて帰れて良かったと内心思っていました。後はビールで乾杯。以上で、もうコレッキリ、コレッキリ。


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