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春山合宿
稲田 竹志

山行日 1977年4月29日~5月1日
メンバー (L)稲田、別所、久山、鈴木(隆)、中村、佐藤、伊藤、川田、山本、桜井、野田、多部田、熊谷、下司、木村、鍵山、林田、島田、庭野、春原

 今回の春山は新人も増え、現役共々全体的レベルの向上を目指し企画したものだが、結果は予想以上の成功を収め、このような組織的訓練合宿の必要性も大いに感じました。
 今年の連休は見事な飛び石で参加者の入山日程の調整が難しく、思い切って合宿内容は訓練主体とし期間も3日間に絞った。
 メンバーが決まったのが1週間前であった。
≪4/22≫準備会、計画書作成と装備と食料やその他の分担を超人的スピードでやってのけたが、後になって少々ボロが出たようだった。
≪4/28≫例によって盛大な見送りを受け、頑張らなくてはとファイト満々。
≪4/29≫土合にて目を覚ますと大雨だったので意気消沈したが、やがて小雨になり出発。テント設営後、小雨の中を訓練に移る。訓練指導を別所さんに担当していただき、各種滑落停止、コンテニュアス登降、歩行の基礎、グリセードと全員一生懸命だ。ピッケルを手から放してしまう人、腕が伸びきって止まらない人、一人で何回も死んだ人もいたりして楽しい雰囲気に一日を終わる。
≪4/30≫晴天。より高度な訓練を兼ね、芝倉沢を稜線まで詰め、帰りは一気にグリセードで下る。2日間の訓練は成果を上げ、雪に慣れることは高度と傾斜に対する自信を持ち滑落停止も確実に行える。
≪5/1≫今日も素晴らしい五月晴れの中を行動する。A班は武能尾根より武能岳ピークを目指し、B班の我々は一ノ倉の一ノ沢より東尾根へと出発!!

一ノ沢東尾根アタック
鈴木 隆志

山行日 5月1日
メンバー (L)稲田、久山、佐藤、鈴木、熊谷
コース B.C~旧道~一ノ倉沢出合~一ノ沢~東尾根~オキの耳~一ノ倉岳~芝倉沢~B.C

 芝倉沢と旧道との出合で熊谷氏に会う。飛び入りで以後同行願う。一ノ倉沢出合でこの日に帰ることになっている中村氏と別れ一ノ沢へ。一ノ沢はまだ日が当たらず結構雪は締まっているがノーアイゼンで登る。沢の上部で前のパーティのカッティングする落雪に悩まされ沢を詰めるのに約2時間かかる。
 東尾根は最初からザイルを使う所があり、前のパーティが通過するまで30分ほど待たされる。この他にも2ヶ所ザイルを使用したり、今にも崩れ落ちそうな雪庇を乗越したりしているうちに、何時の間にか他のパーティに追い抜かれうちのパーティがラストになってしまう。もちろん、そんなことは全然気にせずマイペースでオキノ耳まで登る。無事登頂、感激の握手攻めと歓声。すぐ武能岳アタック隊と交信して報告する。
 一ノ倉と茂倉の稜線上で武能岳アタック隊と合流しお互いの無事登頂を祝いつつ芝倉沢を一路B.Cへと下降する。

春山合宿 その2
木村 恵子

 何時の間にか春山合宿旋風に巻き込まれていて気がついた時、私はあの土合駅の数百段あるという階段をエッチラ、オッチラ登っていた。それにしても背中の荷の重いといったらない。あれもこれもと買い込んだ食料、いっそのことポイと投げ出したらどんなにスカッとすることかと思いつつ....。
 「谷川」去年の夏のある休日、丹沢へ沢登りに行こうとしたところ、電車に乗っている途中で雨が降り出した。駅に着いても止むどころか増々ザンザン降り。やむなく諦めてその足を映画館へ向けた。それが「谷川岳・遭難」題名の通り悲愴感ばかりで見ているうちに出たくなってきた。しかし、事実は事実としてしっかり見ておかなければと自分に言い聞かせ見た映画。また、今年の4月初めに苗場スキー場にいった時もスキー場から見えた谷川岳はいつも雲で覆われていて決して白い頂きを見せてはくれなかった。「谷川」一種独特の響きとイメージが私にはあった。だから合宿が谷川だと聞いた時、異様に張りつめた気持ちになったことは言うまでもありません。何せ合宿と名のつくものに参加したことのない私は、ある種の不安のため少し緊張し始めていたのか、土合からB.Cまで重いはずの荷物もさほど苦痛ではなかった(本当は歩く時間が短かかったためで、あれ以上行ったらダウンしたかも知れないのですが....)。雨がシトシト降っている。にも拘らず別所さんの一言で午後から訓練と相成った。滑落停止、ザイルワークのやり方やグリセードなるもの、ピッケルが単に杖の役割をするのではないということが身を持って分かった。
 30日晴れ、信用できる筋から雪目の怖さを知らされ、しっかりゴーグルを付けての出発。色々な訓練の中で印象的だったのがカラビナプルージックとグリップビレー。これが個人山行に入ってから直ぐに役に立ったのです。原理が簡単なだけにカラビナとシュリンゲだけで命が救われるというのだから驚異だ。人間の頭の良さには今更ながらつくづく感心させられてしまった。ザイルの結び方もしかりである。訓練の一つ一つが重要で皆んな真剣だった。長いキックステップの登高練習などですっかり疲れてしまい、シュラフの中に入ったら間もなく眠気が襲ってきた。そう言えば昨日が29日で天皇誕生日だから、今日は父の誕生日、いくつになったかしらと歳の感情をし始めたが、結果が出ないうちに親不孝な娘はどんどん眠りの中に引き込まれていった。
 5月1日、合宿3日目、武能岳登頂、谷川では珍しいという大晴天なり。周りに繰り広げられた大パノラマ。山々の名前が私は判らないのが残念でしょうがないが、雪のついた山肌が折り重なって別世界だった。ずっと向こうに苗場山が見えて、今度はスキーの時と逆に見返していることが単純に面白かった。穏やかな陽の光にそよ風が混じって身も心も綺麗に洗われていくような気がして、いつまでもそこで歌を歌っていたかった。春のうららの隅田川....。
 武能岳直下の雪渓で誰かがズズーッと滑り降ちて行く。早く止めて止めて。ピッケル刺して早く早く。
 足がもつれる。いくら手で振り切ってももがいても目の前のヤブは消えない。しゃくなげの枝が容赦なく絡みつてくる。進めど進めどヤブヤブ、あらあ、雪だオアシスだ、白い雪を手に取ってハチミツをかけて口の中へ放り込む、キューと喉が痛い。ずっと向こうで手を振っているメンバーがいる。今朝、別れたA班の人達だ。皆んな元気そうな笑顔にどっと安心感が湧いて思わず一人で疲れた疲れたの連発。
 美味しかった天ぷら、いくら揚げてもどんどんなくなって必死の努力の天ぷら屋さん、吹きさらしの風の中で下を見ると足元がストーンと切れていてすくんでしまった恐怖のカタズミ岩。どうしても転んでばかりの下手なスキー。
 いろんな出来事が断片的に頭の中で交錯して、いつしかまたうとうとと....。誰かに肩を強くゆすられ目が覚めると、周りのお客さんは誰もいなくて、男の人が一人、目の前で「着きましたよ」と私を覗き込んでいる。電車は上野駅だった。私は一瞬にして5日間の夢から覚めたような気がした。

春山合宿 その3
伊藤 光男

 山を覚えるということでこの合宿に参加しました。4月29日より5月5日まで入山していました。自分自身三峰の定着合宿は初めての経験なのでなんか心弾んでいました。4月29日から30日まで芝倉沢にて雪渓訓練でした。訓練は自分自身まだまだ未熟であり不器用で他の人が羨ましく思えてなりませんでした。しかし、回数を重ねるに連れてスムーズにいくようになり自分なりに満足しました。やはり経験、訓練回数だと思いました。次の日、5月1日、武能尾根より武能岳、茂倉岳、芝倉沢、ベースという山行でしたが前夜の飲み過ぎでバテバテ。4時間を超えるヤブコギが続き、稜線に出た時はホッとしました。やはり前日の訓練が非常に有効であったことは言うまでもありません。この日をもって合宿は終わりですが、この合宿で何とも言えないのが食事の豪華だったことが思い出されます。教えてくださった別所さん、川田さん、その他諸先輩どうもありがとうございます。とても有意義な合宿でした。
 5月2日、午前中いっぱい雨、テントの中でトランプ、午後より山スキーに出かける、若い美男と美女とそれと年老いた醜男三人、美男、美女スキーの天才、ここで醜男「ああ若いっていいなあ」。
 5月3日、キジの出が良く調子バツグン、美男二人、美女一人、醜男一人計四人となる。美男一人、美女一人、醜男一人計三人が堅炭岩登攀に出る。醜男ブルッテションベンモラス「ああ、おっかなかった」
 5月4日、美男三人、醜男一人、天気またしても良くない、美男二人、醜男一人芝倉沢より稜線まで行くとのこと、醜男旧道まででバテバテ、またしてもできない山スキー「ああ、来年こそうなくならなくちゃー」
 5月5日、今日で最終打ち止め、天気雨、ビール、サシミ、熱燗、こんなことばかり頭に浮かぶ。土合駅よりバスで水上駅へ、トヨタ食堂で鍋焼きうどんの美味さにびっくり、宣伝チラシにびっくり。水上駅より11時41分発上野に向かう、ここで醜男、若さと希望にあふれて友情に守られ山を学び、山行を続けている三峰山岳会に入会しほんとにヨカッタ、ヨカッタ。

5月1日の日記より
島田 兆子

 谷川へ行ったため顔は黒人のようにである。死に物狂いで登った谷川。シャクナゲの中での藪こぎの苦しさを思い知らされる。もう山登りなんて止めてしまいたい、こんなに苦しいものなら、いっそのこと手を離して落ちてしまいたい衝動にかられてしまう。しかし、私が落ちたら後ろの人まで巻き添えにしてしまうと思うと手を離すこともできない、やっとの思いで着いた雪渓。ああ...ようやくここまで来れたと一時的に安心する。
 雪に蜂蜜をつけてがむしゃらに食べる、しかし、後何時間この藪こぎが続くのかと思うと不安は募る。ちょっとの気の緩みが命取りとなるから親不孝はできない、藪こぎが始まりまた雪渓、さっきより長い武能直下の雪渓が....、キックステップの連続。非常に疲れる、いいかげん嫌になる、とにかく上に辿り着こう黙々登る。「ああっ....」一瞬の間に林田さんが落ちて行く「止めろ、止めろ」という声が聞こえる、「止められるだろうか」とただ私は見ているだけ何にもできない私の力の無さが残念、私より10mも前にいた林田さんが20mくらい滑ってようやく停止する、あーよかった生きていた、山の厳しさをつくづく感じさせられる。
 これを登り切れば尾根に出られる。頑張ろうもう一息、雪渓は終わりですが今度は岩場どうしよう、何処を登っていったらいいのだろうと不安になる。下司さんは私に前をどうやって登って行ったんだろう。必死で踏み跡を探す。踏み跡はあったものの私には登れそうもない岩、そんな時、別所さんが上から一本の命綱を差し伸べてくれた「これで私も生きて帰れる」死ぬことなんて大した事ではないと思っていたが、いざその状態に置かれると死ねるものではないと反省させられた。長かった一日。そしてものすごく短かった。3日間これもまた、私の青春の1ページを飾ることになった。

春山合宿報告
佐藤 孝雄

 ゴールデンウィーク初日、大勢の人で賑わう土合駅の長いトンネルを出て眠りこける。朝起きると何と嫌らしい雨が降っている。この雨の中を歩くのかと思いながら、おもむろに朝食。
 3時間くらいでベースキャンプ予定地に着く。幕営を開始する。テントの中で暖まりながら昼食をいただく。小雨の中で雪上訓練を終え、今まで味わったことのない山菜の天ぷらに舌鼓を打ち、狂い水にどっぷり浸かる。シュラフに潜り明日のことを考えているうちに深い深い眠りに入る。
 2日目は、快晴。気分爽快。1時間ほど歩くと靴の中はぐしょぐしょ。こんなボロ靴、捨ててしまおうかと思う。でもそういう訳にはいかない。気分もだんだん憂鬱になる。雪上訓練を一応終わり芝倉沢を詰めることになる。この時、男女のペアで登頂開始する。歩きながら、途中でもし滑落したら止められるかなと思う。しかし、絶対に止めなくていけないのだと自分に言い聞かせる。無事に稜線に立つ。この時、もっと下調べをしておけば山々の名を知ることができたと思う。下りは俄作りのグリセード、尻制動で快適に下ることができました。
 夕食を終えシュラフに潜り込む、でも明日のことが気になり眠れない。なにしろ一ノ倉沢の一ノ沢から東尾根を登るというのだから不安でたまらない。もしかしたら明日は命がないかも知れないからもう大変。しばらくすると歌が聞こえてくる。僕は子守唄のつもりで眠り込む、この歌声は会の女性の皆さんでした。
 3日目(5月1日)は午前3時起床、東尾根のメンバーだけである。遂に運命の時きたる。1時間ほどで魔の一ノ倉沢の出合に着く。気を静めて一ノ沢を歩き始めるが、ピーク近くで下を見ると足がすくむ。ここで落ちたら間違いなくお陀仏と思うことしばしば、気を入れ替えて前進する。ピークに立つ、前方は恐ろしいほどの岩稜帯、もう後には引けないので先のことしか考えないようにする。東尾根を進むに従ってこんな怖い所に来るのではなかったと思うこと終始。緊張の後、稜線に出た時はよく生きていたと自分でも感心しました。最後に無事合宿を終えて雪上での技術の取得、ルームだけでは得られないと思う、人間のふれあいができたことを非常に喜んでおります。諸先輩方の苦労に感謝いたしております。

堅炭岩アタック
鈴木 隆

山行日 1977年5月3日
メンバー (L)鈴木(隆)、木村、伊藤
コース B.C~旧道~カタズミ沢~三峰アタック~三・四峰ルンゼ~芝倉沢~B.C

 B.C、6時30分出発、雪が締まっているため10時には堅炭岩三峰直下に着く、時間の余裕と三峰の誘惑とに負けアタックする。ハーケン、ボルトなどは打ってあるものの古くて効いてはいないし、岩も脆いので登攀は困難を極める。ピーク直下のテラスまで登った所で時間とパーティの実力とを考え合わせた上で退却する。下りはアプザイレンする。
 三峰の取り付きまで下った時には時計の針はもう2時を廻っていた、ちょっと遊びのつもりで登ったのに意外と時間を食ったものである。昼食を摂り、ザイルを使って三・四峰のルンゼを乗越す。3時33分に5時間ぶりに山本氏との交信を試みるができず。芝倉沢へと一気にグリセードで下る。B.C着、4時20分。
 これで今日の山行は無事終了と思いきや小屋の方から山本氏が血相を変えて飛んできて、私達の帰りが予定(2時)よりも大幅に遅いし交信も全然ないので何かあったと思い、今救助隊を頼んだところだと言う。急いで後を追いかけ、無事帰還を知らせる。今出発したばかりとのことで、まだ旧道とカタズミ沢の出合付近で追いつけたのは幸いでした。夜、小屋を訪ねてお礼がてらに酒一本を置いてくる。
 色々と心配していただいた山本氏、快く救助に向かってくれた成蹊大の人達に感謝すると共にリーダーとしての自分の判断の甘さのためにご迷惑をかけた同行の木村さん、伊藤さんにこの場を借りてお詫びします。どうも申し訳ありませんでした。


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