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日光白根山
野田 昇秀

山行日 1977年2月26日~27日
メンバー (L)鈴木(一)、稲田、野田

 浅草駅集合、夜8時。仕事を終えバス停まで走る。バスを降りて家まで走る、10分で着替えからパッキングまでやり、またバス停まで走る。夕食なんて勿論食べる暇はない。山登りより厳しい集合時間にやっと間に合った時は、一山登ってホッとした時のようであった。快適な特急の中では勿論、例の1杯が4、5杯まで進んでいた。
 日光駅で一夜を明かし湯元までバスで行く。湯元スキー場のリフトに沿って行く。夏道はリフト終点より左側の白根沢沿いに行くが私達は直進する。雪崩を避けるためである。細いトレースが続くがすぐなくなる。積雪は足首から膝、腰と次第に深くなる。ワカンを履き鈴木、稲田、野田の順でラッセルをやる、腰から胸、首と凄いラッセルである。雪の中に深さ1mの溝を掘りながら進む感じである。昔の厳しいしごきの中で覚えた雪の中に体を浮かせること、足場の雪を崩さないこと、ラッセルの基本を活かす。意外に体力十分の二人にとてもついて行くことはできない。順番がトップになった時に焦らず基本通りにワカンを運ぶ、何と雪の中に身体が浮くではないか。足場も崩れず歩けるではないか、嬉しくなり暫くの間トップを続ける。天狗平まで連続5時間のラッセルでやっと稜線に出る。前白根のすぐ下に幕営した。風の強い夜でした。
 幕営地から軽装で白根山へ。つい欲が出て五色沼を一周する外輪山を登りながら元の前白根に戻る、快晴で展望もよく楽しいアタックであった。
 さて、問題は下山である、天狗平からどのルートを取るか、もう登る時から皆気にしていたことである。登ったルートを取り、途中から尾根に入るという稲田、鈴木組、夏道を降りるという私と意見が分かれる。登って来た途中で雪面が断層をなして崩れ落ちた場面が目に浮かび、とても登って来た所を下る気持ちにはなれなかった。半ば強引に夏道を下ることにしてもらった。鈴木君がトップで胸までのラッセルで沢を横断した時は、神に祈る気持ちであった。上部斜面の緩い沢を見つけシリセードにて下る、周りの雪と一緒に滑り落ちる嫌な下りであった。雪崩のデブリの上を駆け下りるとやっと安全地帯に入ることができた。天狗平から下り30分、5時間のラッセルでやっと辿り着いた所からの下りであったが、30分が登り以上に永い時間であったように感じた。
 何はともあれ、鈴木、稲田両君には大変お世話になりました、私としては自己を主張しすぎた面が多分にあり申し訳なく思っています。久し振りの深雪に戸惑い、雪崩を必要以上に恐れたためと反省しています。

〈コースタイム〉
2月26日 湯元(8:10) → リフト終点(8:45) → 天狗平(13:45) → 前白根下(14:40)
2月27日 幕場発(6:10) → 白根山(7:45) → 五色山(9:20) → 前白根下(9:45~11:00) → 天狗平(11:15) → リフト終点(11:50) → 湯元(12:10)

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