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その1 プロローグ
桜井 且久

 「単独行」は登山の原点か。いや、集団登山のパーティシップの素晴らしさこそ、登山の愉しみ方の最たるものである・・・。
 どだい三峰という山岳集団の中で個としての山登りを語ることすらナンセンスであるかも知れない。何故なら、会員諸氏のほとんどの方が単独よりも集団を望んだ(その動機はともかく)からこそ三峰山岳会としての組織を形成しているのであろう。しかし、どんな集団で山を登ろうと登山という行為は極めて個人的な自己的欲求から発生した行為であり、常にその本質は山を登る個人の深層心理に及ぶものと思うのが自然ではなかろうか。また、その極点が単独行そのものであるような気がする訳である。
 私自身の経験を申すなら、三峰に入会する以前はやはり「単独行」専門だった訳で、どちらかと言うと逃避的傾向の旅の延長線上にあったような気がする。自然の中に溶け込む姿勢であり、その中に自己を置くことによって自分を見い出す鏡のような役割を山に求めていた。とどのつまりは、極めて臆病で利己的な状態であったと認めざるを得ない。つまり、他人と行動する煩わしさを嫌い、一歩一歩石橋を叩いてグレードを上げていった。今でも、あの初めての冬山〈雲取山〉でのストックに4本アイゼンを付けての緊張感を思い出すと苦笑せざるを得ない。着実に足場を踏み固めて進み、いささかの飛躍をも許さなかった。山岳会の新人が入部してすぐアルプスの冬山に入山するのを見るとまるで夢のように思われた。それに、大好きな山にまで来て他人と調子を合わせるのは苦痛以外の何物でもなかったのである。
 先日、三峰野獣派の三人と横尾尾根に登った。そこで、京都の単独者、高野氏にお会いした。結局、我々は五人で統一行動を取った訳で、たった一人で入山した高野氏も結構楽しそうに思われた。高野氏も徹底した単独行者ならば決して我々と同一行動はなされなかったであろう。やはり彼氏も何となく一人で登っているのにすぎず、単独は異なる団体登山の愉しさを味あわれたのではなかろうか。そこに、私自身の過去の姿を見い出し、この特集を組んで諸氏の意見を拝聴させていただこうした所以である。本来、単独行と団体登山はその質が全く異なるものであり、正否を争うものでないような気がするのである。現在の私自身の心境は単独行も団体登山もそろそろ終わりにして、二人きりの山行(?)を実践してみたいと思うのですが....。


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