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その2 単独行・・・所感
播磨 忠志

 単独行については、いかなる山の書物もそれを勧めているものはないと思う。登山にはやはりある程度の危険はつきものである。ここでいう登山とは数日間の縦走や岩や雪の山への登山であるが、しかし、登山者は往々にしてロマンチストが多いとみえて単独行というロマンチックな言葉に憧れ、山に登り一人で瞑想にふける者もいるだろうし、また自分が登りたいと思った山へも賛同者が得られず止むを得ず一人で計画を立て、単独行を実行する者もいるには違いない。
 しかし、過去の記録を調べてみると、優れた登山者は優れたアラインゲンガーであり、優れたアラインゲーエンを実践しているように思える。一人の登山者が大きな自然に対する時にはあらゆる角度からその能力なり実力なりを試されるに違いない。精神的にも技術的にも優れた者のみにそれが可能になると思うのであるが....。
 昭和の初期、まだ日本のアルピニズムの黎明期には山へ登ること自体が一つの冒険であり、パーティを組んで一つの山へ登るのも大変な時代であったに違いないのに、いわんや単独でそれをするなどということは一つの驚きに違いない。しかるに現状はどうであろうか、一人で山へ行っても周りは大勢の登山者が溢れており、単独行というニュアンスには程遠いのではないか、もちろん時と場所を選べばそれを充分満足させてくれる条件はいくらでも作れるであろうが。
 単独行に関する書物を読んでみると、今年三峰山岳会が冬山合宿の場所として選んだ北岳でさえ、昭和13年の正月に単独行で登った記録によると、他のパーティは全くおらず、またその単独行者は大変な苦労をして山頂に立っている。そしてその記録が後に残るぐらいその当時の正月の北岳単独行は山岳界において一つの大きなエポックだったに違いない。それはその当時の交通事情や装備の貧弱さによるところが大きいとは思うのであるが、このような例を見るまでもなく現在異議の多い単独行をすることはその条件がかなり狭まってきているのではないかと感じるのである。
 以上のような単独行に対しての堅苦しい感覚を持たなければ、単独行はそれなりに素晴らしいものだと思うのだが、山へ登って一人で自然に対峙し自然の中へ溶け込んで、現在の自分を色々な角度から考え直してみることも決して悪いことではないだろうが、私くらいの歳になるとなかなか山へ出かけるのも億劫になるが、一人でも山へ行くということはそれなりに自分の山に対する情熱がまだ冷めていないということの証にもなると思う、例えそれがハイキングであっても....。


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