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その3 単独行について
中村 弘志

 単独行から完全に足を洗って三年になろうとする現在、単独行について何か書けと言われても迷ってしまう。何しろ首までどっぷりと集団登山に浸かってしまっているのだから....。でも何とか昔のことなど思い出しながら書くことにしましょう。
 学校を卒業と同時に山行を共にする友人がいなくなってしまい、しばらくは山へ行かなかったのですが、山へ登りたいという気持ちは次第に強くなる一方で、遂に単独行を決行した訳です。決行というほどの大きな山ではなかったのですがその後、奥多摩、秩父、八ヶ岳、北アルプスと進み、更に冬の秩父、八ヶ岳、南アルプスへと進んでいったのです。そして1月の仙丈岳で集団登山の楽しさ、力強さというものを見せつけられてしまったのです。ただ一人、三十数kgの荷を背負いやっと北沢峠に着いた時、あっちこっちで色々なパーティがいかにも楽しそうに天幕を設営していました。それを横目で見ながらツェルトを張る侘しさ。何と表現したらいいのか、単独行をしたことのある方なら分かると思いますが。
 仙丈の山頂で北岳方面に縦走するパーティを見送りながら、一人ではこれが限界なのだろうか。もっと冬山を目指すなら山岳会に入らなければ駄目なのだろうか。ツェルトに戻ってからもローソクの炎を眺めながら考え悩んだ(それほどの問題でもないのですが)ものでした。山の会に入ってもその活動についていけるのだろうか。ただ、そのことが気になり思い切ることができずにいたのですが、その年の4月に意を決して入会した訳です(三峰山岳会ではありません)。以上が私の会に入るまでの粗筋です。
 単独行などと言うと、何か格好いいようですが実際は全くそうではないのです。単なる臆病で利己的な人間にすぎないのです。臆病な心は先輩についていけないのではないか、ということを心配し、利己的な心は自分より技術、体力の劣る後輩を嫌い、遂には会に入ることはできず単独行へと進んでいったのです。その臆病な心は少しでも危険と感じるような所は避け、慎重に慎重に一歩一歩を進めていった。そして長い長い平凡な道からやっと山頂に立ち、順次困難な山へ向かっていったのです。このようなステップバイステップの単独行こそ最も危険の少ない安全な山行と言うことはできないでしょうか。また、山に登るということが山から色々な知識や心の安らぎというようなものを求められるとすれば、他人の力を一切借りない単独行が最も多くのものを得られるのではないでしょうか。集団で山に登れば他の人に気を取られ、山のことを忘れることがきっとあると思います。しかし、一人ならばどんなものにも、事にも気を引かれるはずです。このような単独で山頂に立った時こそ最も強い感動が味わえるのではないでしょうか。
 単独行のいい面ばかりを書いてしまったようですが、これから単独行を始めようと思う人はこの裏面に潜む危険性を充分に知ってもらいたいと思います。ともかく単独行などというものは、やりたいと思う人がやるべきであり、仲間がいないから仕方なく一人で山へ行くなどという人は単独行をするべきではないと思う。


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