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その8 単独と複数登山
川田 昭一

 雪の雲取、雪解けの長沢背稜を歩いた時、大岳山に続く枯葉の溜まった登り道、ビブラム製の重い靴で夏の黒戸尾根を登る辛さ、数回目に来てやっと見えた紅色をした八海の山容等、みんな一人で登った山だ。それは気ままな意志によって体の筋肉が操られ、休みたい時に休んで、歩きたい時に歩く、そんな野放図さがたまらなくて個人山行を続けていた頃、野放図さとは裏腹により高き、より困難さをと望めば望むほど、滑落したり道に迷うこと、しばしば山での遭難を最小限に食い止めねばと....。
 三峰も含めて数ヶ所から入会案内を送っていただいた。集会所が家と勤務先から一番近いこと、それに山行傾向が自分の好みに合致していたこと等を含みに入れ、三峰の集会所(当時は飯田橋)に足を運んだのが三峰に籍を置いた始まり。
 ガイドブックはもちろん、山岳雑誌等で比較的多く紹介され、登山道、山小屋、指導標が整備され、決まってシーズンが来ると大勢の登山客が押し寄せてくる山、つまり口コミ、マスコミによって作られてしまった山なのだ。マスコミ化されあるいは一般化された山道、沢、岩峰等が山行対象の常であってはならぬ。
 山岳会は山とその自然に夢とロマンを追い続ける人達の集まりであり、そこで行われる登山と個人で行われる登山とはおのずと違います。この違いを知ろうと、あるいはこの違いを埋めてみようとやはり夢とロマンを抱いて入会希望をしてくる人。または既に入会している会員を立ち止まらせ息の長い会員として大きく成長してもらうための会の在り方、または会の山行に対する取り組み方と言うのはおのずから決められる。一例としてこんな山行はどうだろうか、開発しつくされた日本にはもう存在しないかも知れない未踏の尾根、未踏の岩、知らない谷等、全てまぼろし化された、あるいは非常に少ない所かも知れないそんな場所、例えば南アルプス前衛の縦走で出くわしたカモシカの子供、穴熊の親子、モンチャン(鈴木嶽男のノックネーム)に聞いて覚えた茸の名前、ムキタケ、ホウキタケ、ナメコ、月夜茸(毒)等の採集で夢中になった秋の帝釈縦走、初春の足尾山塊で見た鹿、野猿の群れ、ミズナラ、ブナ、コメツガと続く南会津の原生林の縦走などを選んで山行を繰り返すことが新しく入会される会員に応えられるだけの十分な魅力を持った会としての使命であり、さらに会がもっと未来へ活動していくための下地だと思う。


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