トップページ > 岩つばめ一覧 > 岩つばめ233号目次

エッセイ
斉藤 芳弘

 山から海へと奈落の道を歩く今日、少々の型破りは生まれた時からのことで気が違った訳ではない。さりとて正気の沙汰でもない。
 海岸線に取り憑かれたのは潮の岬で地球が曲面であることを実感したことに始まる。実に天才というか愚直というか....。コロンブスも泣いて喜んだという偉大な真実に気付いた訳である。それなら俺もイッチョ、日本の海岸線を歩いてみようと思い立って以来、九十九里浜、鹿島灘、日立海岸へと更に今年に入って北陸は羽咋から越前岬に至る200キロを完歩し、夏は北海道へと人々の雑踏を避け砂浜を歩きに歩き廻った。
 しかし、どういう訳か露天風呂に目のない私は、海岸を歩いていくうちに地図上の温泉マークが気になりだしてくる。ないとある所に行きたくなる(これ正に人間の人間らしいところ)。コースを離れ山奥の寂れた露天風呂に旅の疲れを癒やし大愚に徹するが、目の前に女の子が行ったり来たりするので湯から出られない。出られなけりゃ入っているまでさと、堂々1時間弱....。疲れたなほんとに、帰りはダラダラと山道を引き返す姿なんぞ見るも無残。車に乗せてもらって町に着いた。どうしてか、このようなヘマなザマは。それでも足は洗えない....このへんは地でいってる感じもするが。
 さて、何もでたらめに歩いている訳ではないですぞ、たった一つの重要な原則がある。それは波打際を歩く。それが不可能な場合は海岸線から300m以上は離れてはならないという変な原則を作って守っている(このあたりが愚の愚らしい理由)。まだこういう愚かなことを行う人が少ないので夏以外は静かな旅ができるが関東近辺の海岸はゴミと奇疑の目で見られるから注意した方が良い。その点、北陸、東北、北海道の海岸は美しく人もいない見渡す限りの海と砂浜が続いている。
 よく理由を聞かれるのだがとにかく飽きることがない。それ以上は本人も解らない。海岸を歩くという平凡であくびの出そうなことだが、なかなか変化があるもので崖や川に行く手を遮られる時、いかに歩くかが楽しみでもある。将来はもっと海岸を歩く、ヒッチコースができると思う(今日、部分的にはあるようだが....)が、長距離の楽しく変化に富んだコースは自分で見つけ出すしかない。
 くれぐれも注意しておきますが、こういう事を行うと変人扱いされますぞ、なぜか日本人は道のある所が道だと思うらしく道以外の大地を歩くと島国先入観で見られます。まあ、ともあれ自分自身で更に楽しみを増やすことは楽しいことです。


トップページ > 岩つばめ一覧 > 岩つばめ233号目次