トップページ > 岩つばめ一覧 > 岩つばめ234号目次

秩父二子山
宮坂 和秀

山行日 1977年10月11日
メンバー (L)宮坂、野田

 西武秩父の駅前広場から小鹿野車庫行きのバスに乗る。天気は思ったより晴れている。時間も昼を廻っている故か登山者は私と野口君と二人きりであった。ロートル二人連れでチンタラチンタラと歩いて今日は志賀坂ロッジ泊りだからのんびりしたものだ。
 小鹿野車庫から納宮行きに乗り替える。今日は日曜だからこの路線は本数が少ない。本数が少ないばかりでなく坂本行きが日曜に限って納宮止まりとなっているのだ、平日ならば通勤者があるので坂本まで延長するのだろう。
 両神山の登山口である終点の納宮でバスを捨てると仕方なく歩き始める。天気の方は晴れていたのが徐々におかしくなって薄暗い空模様になってきた。坂本の手前の河原沢の辺りで遂に降ってきてコーモリ傘のお世話になったが、大した降りでもなく間もなく上がってしまった。
 二子山から坂本へ下山した登山者の一グループに出逢った、急いで下ってくるところを見ると志賀坂ロッジ発の休日にただ1回のバスに乗り遅れたらしい。
 坂本辺りから道路の勾配が増してきてやや苦しくなってきた。所々ある近道を見つけては時間を稼ぐことにした。おかげで二子山股峠への分岐点は知らぬ間に通り過ぎたようだ。時々マイカーが下ってくるが登ってくるのはないようだ。まだ降り足りないような空模様なので夕暮れが予定より早く訪れてきた。左手前方の小高い所に二つ、三つと灯りが並んで見える。あれが志賀坂ロッジだろう。
 5時半頃、ロッジに着く。フロントで手続きを済ませて12号室に案内される。何人か客がいたが、あれはマイカードライバーでトイレ借用らしい。話を聞くと今夜は我々二人の他に泊り客はないとのこと。それならというので三段ベットの部屋から和室の方に引っ越しをすることにした。
 朝、目覚めると二子山と両神山がどうやら見えている。雨には降られることはあるまいが、あまり良い空模様ではない。折角来たのだから登ってみよう、と出掛けることにした。
 ロッジの前からいきなり登り始める。最初のこととてなかなかに苦しい。息切れをなだめ、なだめ登るのだがガスのため視界が悪く、息切れをなだめてくれるようなよい景色が展開してくれないのが残念である。
 魚尾峠近くで尾根道よりも立派な道に入ったためぐんぐん下り始め、これはおかしいと感じた。間もなく霧の晴れ間に前方に志賀坂ロッジが見えたので間違ったと断定して登り返した。
 濃霧の中を魚尾峠に出て最後の登りにかかる。ルートは登りつつ左へ左へと迂回していく。二子山の頂上は右の方だから逆行していくわけである。これは頂稜付近が岩となっているためである。やがて行き詰まった感じのする所から稜線へ向かって木の根頼りに登って行くと5、6分でそれに達した。これから頂上までは岩稜である。幸いなことにすっかりガスが晴れて志賀坂峠から小鹿野へと流れる河原沢川を隔てた両神山の姿が意外と雄大に見える。
 私は右脚の麻痺障害と血圧を上げないためにとる心臓の措置のために早く登ることができないので野口君を大いに待たせてしまう。まことに申し訳ない次第である。岩場を登るにしても両手と両足だけでは用が足りない。割りと簡単な所でも膝まで動員して登らなければならない。苦心惨憺たる有様でやっと頂上に立つことができた。頂上には小学校の教員だという男女連れが来ていた。カップうどんなぞを作って昼食にする。
 帰路は東の股峠へ向かって真っ直ぐに下る中級者向きのコースと、北へ向かって山腹を下る初心者向きのコースがあるが、脚の不自由な私としては初心者向きのコースをとらざるを得ないので山腹を下り始めたが思ったほど楽な道ではない。山腹を捲くことのできない理由があるのだろうが、不必要なくらい下ってから今度は捲きながら登っていくようになり、やっと元の稜線に出て先刻の「中級向き」と称するルートと合するようになる。そんなことなら向こうを下ればよかったと悔やんだが後の祭りということか。
 後は股峠まで下るだけ。張り切っている野口君はぐんぐん飛ばして下る。途中で何か音がしたので行く手を見ると彼がうずくまっている。近寄ってから話を聞くと掴んだ枯れ木が根本から折れて、もんどり打って転落したらしい。手、腕、膝などあちこち傷やら打ち身やらで痛々しい。しばらくは息もつけぬくらいだったそうで、やっと歩き出しても私は彼の荷物を背負ってやれない身の不甲斐なさをつくづく感じた。
 股峠に着いて傷の手当をした後、最終バスの待つ坂本へと急いだ。


トップページ > 岩つばめ一覧 > 岩つばめ234号目次