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冬山合宿 鹿島槍の思い出
鈴木 嶽雄

山行日 1977年12月28日~1978年1月1日
メンバー (L)久山、伊藤、播磨、野田、山本、鈴木(嶽)、江村、春原、浅野

 今年の正月の合宿に参加させてもらいました。何か書いてくださいとの事で今まで4回ほど登った思い出を書くことにしました。
 始めは一人で夏に遠見尾根から登りました。山を始めて1年くらいかな、尾根道に咲いた高山植物や雪渓、岩、見るもの全てに目を奪われた、そんな山行だった。
 五竜岳、鹿島槍の山頂を踏んだ。感激も勿論あったけれど、2日目に種池から見た夕日を忘れることが出来ない。小屋から出て見晴らしの良い所に腰を下ろして今まさに剱岳に太陽が沈みかけていた。まるで後光が差すように見えたのでした。それは夏山の1日のラストシーン、自分と山との無言の語り、いや心と自然のシンフォニーかな。その後このように感動した美しい夕日を見ていない。
 2回目は山岳会に入ってからで山本、野田さんと爺岳東尾根から登りました。朝から生憎の雨で鹿島部落の狩野のおばあちゃんのところで朝食を食べながら雨の上がるのを待った。雨も小止みになり狩野宅を出て急登、森林帯にベースを張った。
 翌日アタック、天気も良かった。右手に鹿島槍の美しい山襞を見ながら東尾根を登る。爺岳に立つと黒部川を隔てて剱岳、立山が岩に雪の衣装をまとって恐ろしいほど美しい。爺岳から長い雪稜を鹿島槍に向かって進む、強風と寒さに顔も歪みただ鹿島槍の頂上に登るというだけのことで足を動かしていたのです。そんなことだから鹿島槍の山頂に立っても自分はまるで登ったという実感がなかった。寒さと風が一人の人間の気持ちなど登っているうちに奪っていったようだ。少し休んで爺岳に引き返す、爺岳に着いた時は本当にホッとしました。東尾根を下りながら冬の鹿島槍に登ったという実感が湧いてきたのでした。
 3回目は会の合宿が白馬岳~朝日岳でした。自分は前から入山していて笠岳~針ノ木岳と越えてきて種池付近にテント。その頃から台風が近づき夜中からは風が更に強くなっていました。今日、鹿島槍と五竜岳を越えておかないと合宿に間に合いません。稜線は強風で体が飛ばされそうでした。鹿島槍の頂上は素通りし、キレットからは強風に雨が混じる中を岩にへばり付くように登ったのです。自分と強風との戦いでした。その日に目的地、唐松小屋に着いた時は自分でもよく越えてこられたと思いました。次の日は台風の去った山稜を白馬岳に向かったのでした。
 今回は冬だと言うのに気温が高い。朝から雨のポツポツ降る中を行く。赤岩尾根の登りになる頃から雨も上がる。かなりバテたけれど早いペースで高千穂平に着いた。前日組のテントがないのにはチョット焦った。ガスっていた天気も上がり鹿島槍が顔を出した。柔らかな日差しを浴びた鹿島槍の山肌が実に美しい。その時は明日は登れると思っていました。その後テントに居ると前日組が爺岳に登って帰ってきて合流しました。後は雨とみぞれの毎日でテントの中は水浸し、川が流れていました。シュラフから着ている物まで濡れました。そんなことで予定より早く下山。今年みたいな暖かい冬山は初めてだ。自分達三人はボッカをして酒を飲んで鹿島槍をチョット見て雨に降られて下山。こういうこともあるのですね。雪解け水のほとりからは早春の花が顔を出したそうな、そんな気になる。全く変な冬山でした。
 今度この山に登るチャンスがあるときは、この山はどんな顔で自分達を迎えてくれるのか一寸楽しみですね。

冬山合宿 鹿島槍
浅野 敏郎

 私事で恐れ入りますが昨年9月に入会させていただき、この冬山合宿は私にとっての最初の冬山であり合宿でした。入会当時から正月は山で迎えたいと思いつつも、なんせ北アルプスに冬に登るというのはどんな服を着ていけばいいのやら、雪の上で天幕が張れるのかなあ、など想像の出来ないことばかりでした。参加申込みの締切が11月初めでしたのでベースキャンプまででも行きたいということで久山さんにお願いして参加させてもらうことにしました。
 食事当番をやれということでどんな献立がいいのかと思い色々と登山技術書を見てみましたが、カロリーうんぬんの話は出ているものの実際のメニューは意外に本にも書いていないものです。四苦八苦考えて思いついたのがすき焼き、水炊き、とん汁、いも煮、おでんでした。今から思えば重い物ばかりで同行の皆様の荷が重くなって申し訳なかったと思っています。ただし、味は抜群で、天幕の中で食べた楽しい思い出が私を三峰に強く結びつけてしまいました。また、ホエーブスの使い方に慣れるため12月初めには水沸かしからジフィーズ、お好み焼きに至るまで朝食作りを兼ねて寮で練習してみました。
 前置きが長くなりました。これは冬山合宿一年生にとって準備そのものが山行の半分を占めるという事実と一致しております。
 新宿8時に集合。でも着いたのは9時30分でした。申し訳ありませんでした。ここで見送りの人達からアルコール、ケーキ、何とレトルトパックの赤飯20袋までいただき、ありがとうございました。この見送りで元気づけられました。
 マイクロバスを降りると雪のだだっ広い広場のような所でした。大谷原はどの辺なのかなー、一先ずリュックを開けサンドイッチを食べてスパッツを付けました。久山さんの後ろを歩いて2時間30分くらいで西俣出合、その後4時間で幕場(高千穂平の少し手前)に着きました。途中、NHK長野放送局の人に歩いているのをカメラに撮らせてくれという一寸照れくさい話があり、一同小休止。野田さんばかり写していたとか、足元ばかり撮っていたとかわいわい言っていましたが、後で人に聞くと画面に認識できるような大きさで顔は出ていなかったということでした。
 赤岩尾根はかなりショッパイ登りでした。午後2時頃幕場に着いたときには全員かなりバテていました。私も江村のお兄さんに助けてもらいながらやっとでした。原因は荷が重すぎたからのような気がします。とにかく野田さんのご指導の元、テントを張り、ままごとのようにスコップで冷蔵庫を作ったり、ブロック雪を積んだり。その晩はすき焼きを食べて明日のアタックのために早く寝ました。
 12月30日、曇り。夜中に少し降った雪も大したこともなさそうです。曇っていますがともかく稜線まで行ってみようということになりました。40分くらいで高千穂平を通過、天幕は2張りしかありません。その後トレースがなくなりラッセルになりました。とうとう問題の稜線に上がる最後の登りに来ました。45度くらい、約80メートルくらいのようです。どのルートをラッセルすればよいのか、あの葉っぱの付いている木に向かって進めばよい。野田さんの一言。急登で胸まで雪があるので苦しいラッセルでしたが途中からラッセルマン"ITOH"が大活躍。雪の中を泳ぐようにラッセルをし、セカンド春原さんが雪を踏み固めるという感じでペースが出来上がりました。1時間くらいかかって頭を出した所は稜線でした。と言うのは、私にとってこの登りが最後の稜線に出るためのものだということが登って初めて分かったからでした。一瞬の雲の切れ間。剣が見えたぞ、鹿島槍が、シャッターを切れ。ブロッケン現象。高千穂平の全貌が見える。天候はだんだん良くなり、見送りの時にもらったカステラを食べる。12時30分に鹿島槍アタックも、天候、ルート共に問題なさそう。ただし、時間がない、ここまで戻ってくるのに4時間くらいかかるだろう。爺ヶ岳なら2時間半くらいで戻ってこられる。今日は爺ヶ岳にアタックしよう、明日に後発隊と鹿島槍に登ればよい。
 爺ヶ岳に着いた時は北アルプス全山が見渡せるほど晴れ間が広がっていました。鹿島槍にアタックしているグループが黒い点になってよく見えます。
 その日の夜は播磨さん、よっちゃん、もんちゃんを加えて総員9名、明日持っていくココアを作ってテルモスに入れておく。
 12月31日、終日雨のため停滞。トランプをして遊ぶ、昼過ぎにトランプが一段落して気が付いたら天幕の床の真ん中がかなり凹んでしまっている。雨漏りがする、仕方ないので天幕を半分ずつ倒し床の雪を平らに直した。雨の中でやったので皆ビショビショになりテントの中のシュラフも濡れてしまった。今日は一年最後の日、いも煮も旨いし酒もたっぷり時間もたっぷりある。次から次へと歌が出る。平均年齢が31才なので懐かしい歌も多い、中学校で習ったものもある。モンちゃんは色々な歌を知っているし久山さんの替え歌も春原さんの美声も素晴らしい。外はまだ雨、雪崩の音がひっきりなしに聞こえる。
 1978年元旦、雨止まず。少し雪に変わってきた。今日アタックできそうもない。シュラフも濡れてこれで寒くなるとヤバイ。9時頃、全員下山開始。大町駅の食堂で春原さんの弁、「いつも山から降りて食べると何でもおいしいのに、今回は天幕の中で食べたほうがおいしかったわ」。
 冬山一年生の私にとって鹿島槍の合宿はアタックのときも天幕生活も素晴らしく楽しかった。また行きたい、冬山へ。


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