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無題
桜井 且久

 あの「悪夢」の北鎌から早半年が過ぎてしまった。その間たった一度の山行も行っていない。否、その時間と意欲が決定的に欠けていたと言ってよいだろう。それ程私自身に「山への情熱」が冷めつつあるのかもしれない。今の私にはたった一人でも山に出かける「熱意」は存在しない。やはり、気心の知れた「山仲間」との山行以外はもはやあり得ない。何故なら「山仲間」という言葉を思い浮かべただけで非常に楽しく懐かしい感覚に浸ることができるし、また仲間との楽しい山行の数々が私の記憶の中に沢山詰まっているからだ。どうやら、私自身の回想の世界では常に美化作用が働き、物事を美化したまま温存しようとしているらしい。ところが、現実世界には私の周りに美化すべき対象人物が消え去ってしまっているのである。ふと気付くとたった独りぼっちになってしまったようである。〈山仲間〉達は、自然と山に見切りをつけていったのであるかも知れない。私はどうして山になぞ登り始めたのだろう。社会人になってからもう6、7年も経っているのだから、その中で〈安定した〉平凡な社会生活を築くこともできたと思う。その中でいつまでも〈山屋の世界〉に浸っていてよいのだろうか。極めて安定した生活を営んでいる仲間のことを思い巡らしてみると、いつもそんな疑問が私の心の中に湧き上がってくる。何度山を止めようと思ったことだろう。突然、そして惹かれたもののように山へ行く。私は一体、山でどんな価値あることをしようというのだろう。
 先日、三峰の〈山仲間〉であるM君、G嬢の目出度い式に参列させていただいた。我儘勝手、言いたい放題のM君が妙にしおらしくお婿様然としている様子を見て、〈時代の流れ〉を感じぜざるを得ませんでした。おまけに、一緒に参列したバランスT君までもがすっかり「大人」に変身している始末。これを歴史的進歩と呼ばずして何と呼ぶであろうか。共にあの入会したての頃の爆発的なエネルギーはすっかり影を潜め、立派な(?)社会人面をしているのである。これではいい年をしたこの私がいつまでも山なんぞに行っていてよい訳があろうはずがないのである。実際、私が入会したての頃の柴田、真木、松谷、多部田、安田、甲斐君、etcの唯一人として少なくも私の周りにはもはや存在していない。それぞれが別途の道を歩んでいるようである。どうしても一抹の郷愁を感じざるを得ない。三峰のルームにふと気が向いて顔を出そうものなら見覚えのない新顔達がこの私を怪訝そうな顔をしながら冷たい視線を差し向ける。もはや〈新しい時代〉なのであるのかも知れない。私のような精神的にも肉体的にもお荷物でしかありえない存在など全く意味がないのである。その結果、私などますますもって足が遠のいてしまう。
 現在、私は仕事以外にゴルフの練習に熱意を持って当たろうとしている。仕事以外とは言うものの、実は仕事に関連しているのであるが....。それはそれで結構面白いのである。勿論、山にかけた〈情熱〉とは全く異質のものであり、全くもって飯の種なのである。こんな純真な〈山屋〉の皆様からすればふしだらな私でありますが是非とも三峰の定期的な行事などありましたらご連絡ください。一人でぶつぶつ言いながらひょっとしたらザックに荷物を入れてのこのこ出掛けるかも知れませんから....。また、三峰の誰か遭難などなさったらお調子者の元三峰野獣派のリーダーとして最善を尽くすつもりです(猫よりまだまだまとものつもりですので)。よろしく、どうぞ。


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