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谷川岳
野本 秀夫

山行日 1978年4月23日
メンバー (L)久山、多部田、野本、梅川、佐藤、稲田

 去年、三峰に入ってから新米でありながら早速冬眠状態に陥ってしまった僕。これではいかんと飛び出したのがマチガ沢での雪上訓練を兼ねた谷川岳登山。今まで大学で少し山をやってきてはいたが、やはり三峰の山歩きはどういうものであろうかということで、出発するまではやはり少々不安だった。
 メンバーは稲田さんをはじめベテラン組が4人と新人組3人の計7人。優しい優しい先輩達に色々教えてもらうにはちょうど良いメンバー構成である。
 10時13分の例の遭難列車で出発。いつもながら夜行というものは眠れないもので皆目をつぶっているけれども耳の方は塞ぎようがない。ボックスの前後では女性の登山客の楽しそうな笑い声が響いてくる。車両の中いっぱいに華やいだ雰囲気が漲り、すらりとした足、整った鼻筋、そして可愛いエクボを思い浮かべさせるような素敵な音色が私の耳元をすり抜けている。しかし、意識的に目はつぶったままにしておく。いつものごとく....。声のする方向へ目を向けて僕の感性を傷つけられたことが一度や二度ではないからである。でもやはりこんな時にはいつも思う、可愛い女の子、ファショナブルな女性と一緒に連れ立って山へ行きたいと。聞くところによると僕は現在、三峰の中で最年少だそうだ。一番若いものがバテてしまってはどうしようもないので、そのまま静かに目を閉じていた。高崎を過ぎる頃、やっと眠りについたが夢を見る暇もなく土合の駅へ到着。ここでは長いトンネルの階段が待っていた。非常に長い、これが実感。駅まで一本取りたくなってしまう。改札もホームに列車が到着する10分前に閉めてしまうらしいが、こんな駅から通勤する人達がいたらさぞ大変だろうなどと余計な心配をしながら気を紛らして歩く。しかし、冗談ではなく通勤客にとっては大変な駅である。家に着くまでに仕事の疲れが確実に倍加するだろう。
 駅を出ると4月下旬というのに未だ雪が残っている。今年は雪が多いというのを身近に感じる。明るくなるまで一先ずセンターで休憩。久山さんは持ってきたレスキューシュラフを使わなくては損とばかりに30分ほどの時間なのにわざわざ広げて「お休みなさい」ご苦労さんです。さすが山男と感心。
 4時30分に出発してマチガ沢を登り始める。何とまあ雪だらけ....。当たり前のことだがやはり嬉しくなってしまう。一歩一歩踏みしめていくうちにだんだんと谷川岳の頂きが赤く染まっていく。額に汗が流れ時折り風がなびく。空は雲一つない青空、今日一日天気は持ちそうである。まさに春山日和。しかし、一ノ沢を詰める頃になると傾斜は急になり足も疲れてくる。キックステップの練習なのに自然とトレースの固まった所を歩いてしまう。しかし、快調なペースで登っていたら何と8時35分に頂上へ到着した。訓練時間も多少あったので実働時間を賞味計算してみると約2時間30分。背後に聳える朝日、白毛門の山々、振り返る度にガンバレと声を掛けてくれる気がして、そんなうちに何気なく頂上へ着いてしまった。元来僕はパノラマ志向の展望派なので残雪べったりの上越の山々に大感激。ベテラン連中の人は見慣れているようであるが僕には初めての上越ということもあって「あの山は何、この山は何」と地図とにらめっこ。山の名前と形を覚えるのが大好きで、いつも登ると5万図を広げるのが僕の習慣。こんな他愛のないにらめっこをしている時が一番幸せである。こんな時、山へ来て良かったなあーと思ってしまう。この後はアイゼンワーク、ピッケルワーク、ザイルワークの練習、ベテラン連中が本当に親切に教えてくれる。滑落者になって滑ったり、また登り返したり、本当にご苦労様で頭が下がります。こんなに親切に教えてくれるのが三峰の良いところではないだろうか。大学のクラブでの自分自身を反省せざるを得ない。
 下りは田尻尾根を一気にシリセード、なぜか僕が一番下手くそで転げ回ってしまう。グリセードも何度やってもシリセードになって、そのうち体勢が崩れてすぐさま習いたての滑落停止の技術の復習となってしまう。梅川さんには何度も教えられたが結局まだまだ。舗装道路に出る直前になってやっと何とか形を掴めそうになったが、はいここでお終い。
 一日中、変化に飛んだ谷川岳の春山も水上駅のナベヤキウドンでお開き。行きと違って帰りは眠りっ放し。水上駅を出てすぐ眠り、目を覚ましたらもう久山さんの姿はない。そう大宮を過ぎていたのである。楽しくて楽しくて疲れた山行だった。


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