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昭和53年度夏山狂想曲
桜井 且久

(まえがき)
 先ず、もはや「退会者」のこの私がまたしても原稿なんぞ書くことをお詫びします。「三峰」という一つの組織体には訣別宣言を出しながら個々の会員諸氏には何らかの思いも義理もあるのである。ここは、大恥をかくのを承知で川田編集長の原稿依頼を甘受する次第です(私自身も何回か原稿集めに奔走したものです....)。やはり総体としての「三峰」に訣別しかねているのが現実であるかもしれません。
 私にとって夏山は必ずといってよいくらい来るべき「冬山を意識して計画されてきた」のである。しかし、今年の夏山は一切冬山を意識せず、のんびり「愉しむ」ことだけを考えて施行された。その結果が7月の鳥海山並びに富士山、8月の木曽御嶽山、恵那山なのであった。どれも老人もしくは子供連れであり、家族サービス的要素の濃いものであった。何らかの危険を感じない平凡なコースであったが、私には「山の楽しみ」の別な味わい方を感じさせた山行でもあった。以下、その簡単な報告を記させてもらうつもりです。

7月22日~23日 鳥海山
 7月8日の丹沢での「お祭り」にひょっこりしたことから半年振りに顔を出したのが運の尽きというか、猛烈に山登りがしたくなった次第です。メンバーを聞くといつもの三峰年寄り隊に山形からモンチャンと真木君も参加するとのこと。それでは是非参加させてくださいと播磨リーダーに電話しO.Kをもらいました。箱にしまった装備を出しながら、どうしてこの私はお調子者なのかと苦笑せざるを得ませんでした。鳥海山は東北名山シリーズを企画中の播磨夫妻が計画しただけあって、ガッシリと重厚でしかもスマートと言いたいほどの名峰であった。途中、池塘に囲まれた地点にテントを張り、一面のお花畑に目を奪われるのです。山頂付近からは太古の静寂を保った湖水、すぐ眼下に日本海を見下ろす広々とした高原状の草地とどれをとっても昔から東北第一の名峰と信仰の対象として崇められてきたことも充分納得できる。若干の難点を申すなら、先ず距離的に非常に遠いことがあげられます。それ故、せっかくここまで来るなら1泊2日でなく、ゆっくりとした日程で月山も片付けていきたいものです。第二の難点は、あまりに大衆的な山になってしまったために地元の小・中学生がびっくりするような団体登山を行っていることです。青少年に積極的に「登山」をさせるのは、教育上は問題はないとしても一緒に居合わせた登山者はびっくりするに違いないからです。実際、私達もあまりの人間の数に圧倒されて興ざめしてしまったようです。今度は是非晩秋にでも温泉巡りとセットして登ってみたい山でした。

7月26日 富士山
 メンバーは私、弟、義兄並びに御老体の実父殿で登りました。この日本一の山については今更何を言う必要があろうか。富士山は「国民の山」、「大衆の山」なのであろう。実際、山岳会に入会している諸氏よりもこの「偉大なる通俗の山」は、一般大衆の方が登っている機会は多いかもしれない。この私もたった一度、2月の富士に単独挑戦して失敗して以来、山頂を踏んだことは一度もなかったのである。老いも若きも男も女もあらゆる職業人が「一度は登る」のである。これほど純な「山屋」と縁のない大衆的な山もないのである。今回登ってみてやはり富士山は、「大きな土の塊」であることを再認識した次第です。一度登ったら二度と登りたくない山であった。67才の親父殿も人の倍以上の時間がかかりはしたがどうにか登り切り、もう二度と登りたくないとのことです。皆様、奮って「富士登山」にアタックしてみて下さい!

8月10日~14日 木曽御嶽山、恵那山
 今夏は2日に購入したての新車(コスモL)で是非ドライブをと考えていました。偶然、別所家の日程と歯車が合い、岐阜県の別宅をベースにドライブ登山を決め込んだ次第です。恵那郡に位置する別宅からは車なら恵那山、御岳共に充分日帰り可能な位置にあります。普段、東京からだとちょっと不便なこの山を二山いっぺんに片付けようとした訳です。東名高速、中央道と一気に走ってきましたが、子供連れで約6時間で到着とはまあまあの出来であろう。さて、ベースに着いてからが大変で、普段人が住んでいないためにエアーコンディショナーがまともに動き出すまでに大騒ぎのようでした。それでもどうにか別所夫人達のご協力によりどうにか夕食にありつけ、一安心といったところでした。
 さて、次の日の御岳登山は早朝よりトラックと競争に始まり順調に木曽福島駅に到着となり、駅前のバス会社車庫に愛車を置き、いよいよ本格的登山の開始です。登りは王滝口からで下りは黒沢口です。7年前の夏に一人で開田口より登った思い出がありましたが、今回は七合目までバスの入る一番俗化されている王滝口を選んだのです。なんせ今回は別所家の愛息である「テル君」が親の道楽のために何の因果か無理矢理連れてこられているのでしょうがありません。両エキスパートの子でありながら、愛息は歩くのがひどく嫌いらしく、すぐに別所氏に背負われるとご機嫌が直るようです。実際、2才かそこらの子供に自分達と同じ「道楽」を強制しようものなら、直に両親も見放されるのではないでしょうか(?)。御嶽山も実際信仰の山そのままで純な山屋さんは疎外感を感じざるを得ないようです。山のあちこちで宗教的記念像の前で白衣装束の信者が加持祈祷をしているさまが眺められます。何だか登山靴を履いている自分達が場違いそのものなのです。我々の泊まった「湯川温泉」も信者のために作られた山小屋、といった小屋で山の温泉とは程遠いようなものでした。おまけに朝起きてバスの時間を聞いたら昼近くまでないとのこと、仕方なく随分のんびりと過ごさせてもらいました。普段と同じようなせかせかした登山をご希望の方はこの温泉には泊まらないほうが賢明かと思います。
 さて、次の日は恵那山登山です。この山は一応日本百名山の中に入っており、南アルプスから眺めるといつも中央アルプスの末端にちょこんと聳えており、いつも気になっていた山なのである。車で人形文楽で有名な川上(かおれ)部落を通り過ぎて一気に黒井沢キャンプ場まで入ることができました。そこから恵那山の南東稜に取り付いたのだが5万分の1の地図で見た感じ以上に時間がかかり、結構苦しい登山でした。ルート自体は割合藪が多く、しかも小雨模様で視界がなかったため何か物足りなかったように思われます。楽しかったことより藪の煩わしかったことばかり思い出します。視界がないと決定的に「イモ山」と化すのである。ただ、途中の小池の水が澄んでとても綺麗で「テル君」共々遊んで時間を過ごしました。やはり恵那山は忘れられた山になっているようである。木曽御嶽山にしてもやはり車の使用が非常に便利であり、東京からわざわざ電車で来てバスを乗り継いでいたら、こうもうまく二山を片付けられなかったと思われます。我が別宅をベースにこの山々を片付けようという物好きな方がいらっしゃったら是非私にご一報ください。何時でもお貸しいたします!
(別宅) 岐阜県伊那郡山岡町下手向

(おわりに)
 つまらないことを小学生の作文並みに書き連ねてしまい申し訳なく思っています。しかし、私のこの雑文も歴史ある「岩つばめ」に載せていただいて活字になり永久保存されると思うと編集長に感謝せざるを得ません。皆様も自分自身の体験なり印象をどしどし文章化し具現化してみたらいかがでしょうか。原稿用紙に一字一字書きつけるという作業によって自分自身を表現する手段も割合面白いものであり、何よりも自分の山行のよき記念にもなります。是非とも原稿をどしどし投稿し川田編集長を楽にしてやってください。それが陰ながらも「三峰山岳会」の興盛に繋がるのではないでしょうか。
追記
 冒頭で今夏は全く冬山を意識しないで夏山登山を行ったと申しましたが、偶然にも今正月を木曽御嶽山にのんびりと行ってくることになりました。極めて個人的な山行要素が強いのですが、結果的に「三峰」の連中と行くことになるのでよろしくお願いいたします。尚、会の正式な冬山合宿は「槍ヶ岳」とのこと、何か私で役立てることがありましたら間接的には幾らでも協力するつもりですのでよろしくどうぞ。


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