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新人哀歌 鋸岳山行
佐藤 明

山行日 1978年8月12日~14日
メンバー (L)稲田、佐藤(明)

 真夏の夜、私は隣に若く美しい女性を座らせタクシーを走らせる。私の胸はわずかの不安と甘い期待とで一向に落ち着こうとしない。対向車のライトが彼女の横顔を照らす。彼女はずっと目を閉じたままである。これからのことを考え少しでも体を休めようと思っているのだろうか。そして約20分、車は静かに目的地に到着する。「オイ佐藤着いたゾ」須貝さんの声。それに続き彼女の強烈なアルト、「パパ着いたワネ」私は須貝さんと念願の甲斐駒、鋸岳の縦走に来ているのである。ここ竹宇駒ヶ岳神社はタクシーと4人の登山者以外は全て眠りの中。そこで私たちも白み始めた空の下で取り敢えず仮眠を取ることにした。
 8月12日、食堂で半煮えのインスタントラーメンを胃の中へ流し込み、6時前出発。さほど急でもない登りにゼイゼイいいながら2時間半で粥餅石に到着。急に須貝さんがその石を登ってみようと言いだす。どうも自称一流のクライマーともなると岩を見るとやたら取り付きたくなるらしい。まるで某氏の女性好きと同じだな、などとにやけていると「オイ佐藤、何笑っているんだ!!」などと言われてしまう。ところで、これから登ろうとしているのは、粥餅石公衆便所前Aフェース。高さ4m、ほぼ垂直でホールドに乏しい。「ヨシ行くゾ」とカッコ良く取り付いたが、約50cm登った所で登攀困難となり勇敢なる撤退となる。須貝さんの話によると、このルートは7級程度とのこと、私も腕を上げたら挑戦してみたい。
 ここを8時半過ぎ出発。全然スリルのない刃渡りを過ぎ11時過ぎ五合目到着。ここからは梯子の連続である、手を使わずに足だけでバランスを取って登れと言われるが、こちらはかなり疲労気味で手を使わなければ後ろにひっくり返りそうである。13時前に七合目に到着。甲斐駒を越えて六合石室まで行く予定であったが、私がバテてしまったのでここに幕営させてもらう。
 今晩のおかずは麻婆豆腐とサラダ。そこは新人の辛いところ、当然食当は私である。大粒の涙をボロボロ落としながら玉ネギを切り刻む。包丁代わりに借りた須貝さんのナイフ、これがまたよく切れるのである。まるで某氏の切れ痔、いやまるで私の頭並みなのである。何でもパートナーが落ちて自分も危なくなった場合、即座にザイルを切断できるように常に研いで首に下げているそうである。サスガは三峰野獣派、私も見習わなければと妙なところに感心する。
 結局、食事の殆どを須貝さんに作ってもらい、私は食べ役に専念する(あまりにも私が下手なので見ていられなくなったという感も無きにしもあらずだったが....)。食事も済み周囲の天幕に影絵の見え始めた頃、私の大嫌いなアルコールタイムである。今回持ってきたのは、須貝さんの高級ウィスキー1リットル、私のは庶民用ウィスキー700cc。たったこれだけのウィスキーで甲斐駒、鋸の縦走ができるのだろうかと酒豪須貝さんの独り言。今回の山行に一抹の不安を覚える。アルコールを飲み出すと話は富士の須走を駆け落ちる人間のように止まることを知らない。二人の声は周囲の静寂を突き破り指数関数的に大きくなる。その内容は山のことから始まり、三峰山岳会のあり方、そしてその女性の話にまで発展する。
 話と話の間の我に返る一瞬に私はある記憶を呼び戻した。それは小春日和の朝、この甲斐駒の山頂でアイゼンでボロボロになったスパッツを付けて歩いている私にビスケットをご馳走してくれた伊藤さんの顔。その顔は人間らしい人間となるなら三峰に入会しろと勧めてくれたっけ。そして三峰には素晴らしい女性がワンサカいるぞと言ってたっけ。私は甲斐駒の山頂で直ちに入会を決意した。しかし、それはどんな理由であるかは敢えて言わない。話はさらに発展し、しばし激しい意見の対立を見せる。しかし、最終的には美しい三峰の女性達のファンクラブを作ろうではないかということで和解が成立する。あーあ、今夜は悪酔いをしてしまった。
 8月13日5時起床、周囲の天幕は既に3分の2程度に減っている。ノンビリ朝飯を食い、7時過ぎ出発、梯子を越え30分程で八合目、更に登った所で急に背筋に冷たいものが走る。何とザックの中のマルキルの栓が開いたのです。せっかく担ぎ上げたのに覆水水筒に返らずである、残念。しかし、これがガソリンでなくて良かった、もしガソリンだったら「カチカチ山」の運命ですからー。
 途中の岩場で1時間ほどフリークライムの練習をして9時過ぎ頂上着。視界の悪い頂上は人とゴミだけがやたらと目立つ。私たちの隣には少年少女合唱団まがいのグループがいる。私もあんなハイキングクラブに入会すれば良かったなあという本心がチラリ。しかし、そこは見栄で生きているこの私、三峰で頑張らねばと須貝さんを見るが、その顔は少年少女合唱団を向いたままであった。1時間ほど昼寝をして六合石室へ向かう。そこで同じ鋸岳へ行くという名古屋の二人組と知り合う。彼らは天幕を忘れてきたと騒いでいるので我らの天幕へ寝かせてやることにする。バカな奴らめなどと思うが、実は自分も山へ行くのに山靴を忘れた経験があるので、あざ笑うにも後ろめたさを感じる。
 この六合石室は近くに水場がないため、ガラ沢を20分ばかり下って水汲みに行かねばならない、私が水汲みを渋ると須貝さん、「ナニ!新人のくせに、今晩ウィスキーを飲ませないぞ!」「ハイッ、行ってきます」
 全く新人は辛いのです、特にそんな殺し文句を言われると....。しょうがないのでドジな名古屋人を道連れにガラ沢を下る。その夜、4人で酒を飲み交わし8時就寝。
 8月14日4時過ぎ起床、激烈な二日酔いである。飯は喉を通らないのでトマトジュースとチョコレートだけで5時半出発。素晴らしい天気である。向かいの仙丈ヶ岳のカールが光っている、赤い天幕が見える。アッ誰かがキジをうっている(これはウソ)。
 1時間程で中川乗越へ。そしてここからの急登で昨夜の毒素を全て吐き出し7時過ぎ第二高点到着。ここからこの先の第一高点は普通の尾根道ならほんの15分ほどの距離にある。しかし、コースタイムでは何と3時間である。それはこの間に最大の難所大ギャップ通過があるからだ。高鳴る旨を沈めようと第二高点より小キジをうつが、その高度感と事後の武者震いのため、その興奮は恐怖へと変わっていく。出発して間もなく私の傍の大石がグラリと傾く。次の瞬間、その石は視界から消えギャップに吸い込まてゆく、数秒後ガーンという音が聞こえ続いて雷にも似た大音響が谷中を揺るがす。下を歩いている人に当たっていなければよいがと須貝さんは心配する。
 稜線伝いに下るが大ギャップへはザイルがなければ降りられない、仕方なく左のチムニーを滑り降り、トラバースして巻道を探す。そこで再び大きな雷鳴が轟きわたる。それは数秒の間、私の耳を独占し胸を押し潰す、この音は私にとって恐怖以外の何物でもない。特に気の弱い私なぞ、もう膝がガクガク、顔面蒼白で全く情けない。
 ギャップを越え、鹿窓を潜り抜け、5~6mの壁を登り8時45分、やっとのことで第一高点へ辿り着く。怖かった、疲れたを連発しながらお茶を沸かし10時過ぎまで昼寝する。そして12時過ぎ角兵衛沢出合へ。
 さて、これからどうしようか、仙丈ヶ岳へでも行こうかという話も出たが、アルコールが既に品切れではパワーが出ないので今後の山行に譲ることとし、今回は断念し「ビール、ビール」と叫びながらバス停の戸台へと急ぐ。
作者あとがき・・これは実際にあった山行をモデルとした虚構ですので、現実とは大分違っております。尚、モデルとなった須貝さんに心から感謝いたします。


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